江戸時代から伝わる、「なんとかの七不思議」。怪談など7つの物語がまとめられて色々と伝わっていますが、そこには江戸の地域や地形に基づいて特色ある話題が語られ、いまに通じるものも。怪談話を知ると、いまの「東京」を深く知るきっかけにもなるかもしれません。
怪談、奇談、摩訶不思議な話…「江戸の七不思議」から「東京の街」を読み解く (※写真はイメージです/PIXTA)

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そもそも「七不思議」とは?

誰しも「七不思議」という言葉を一度は聞いたことがあると思います。そもそも「七不思議」という言葉は外来語を翻訳して生まれた言葉で、次にあげる古代の巨大建造物に対して使われていました。

 

●ギザの大ピラミッド

●バビロンの空中庭園

●エフェソスのアルテミス神殿

●オリンピアのゼウス像

●ハリカルナッソスのマウソロス霊廟

●ロドス島の巨像

●アレクサンドリアの大灯台

 

日本では昔から怪談や幽霊などの不思議な話を集めて、その地域や場所ごとに「XXの七不思議」とすることが流行りました。江戸時代は特に奇談が好まれて、越後七不思議や甲斐国七不思議など人気があり、江戸の七不思議の中では「本所七不思議」が特に有名ですが、その後続々と各地の七不思議が誕生して、今現在まで語り継がれています。

 

現代においても、学校や病院などの怖い話を集めて「学校の七不思議」や「病院の七不思議」とする話が、怪談ものの一つのジャンルとして人気があります。

 

江戸時代の七不思議は、江戸の地域や地形に基づいて特色ある話題が語られており、話も7つに限られず、そのつの選定にはいくつか異説が存在します。ただ、どの話も池沼・堀・井戸・橋などの水辺や、異形の樹木・草などの植物、怪音・怪光に関連する現象の三点が共通点として挙げられます。

 

本所七不思議

七不思議とありますが、消滅してしまった話も含めると12話あるなど、必ずしも七つに固定されてはいません。

 

置いてけ堀

本所のとある釣り堀で夢中で魚を釣り上げていたところ、気が付くと夕方。もう帰ろうと魚でいっぱいの駕籠を持って行こうとすると、「置いてけ、置いてけ」と声がする。びっくりして逃げたが、気が付くと駕籠の中は空っぽになっていた。一説では、現在の錦糸町辺りという。

 

足洗い屋敷

両国のあたりに「足洗い屋敷」という大きな屋敷があった。夜更けになると天井から血だらけの巨大な足が天井を突き破って降りてきて、「足を洗え~」と騒ぐ。きれいに足を洗ってあげれば、そのまま天井裏へ帰って行って天井も元通りに。しかし、ちゃんと洗ってあげないと、朝まで暴れて屋敷中の天井を踏み抜いてしまう。

 

落葉なき椎

隅田川べりの松浦家上屋敷の椎の木はよく繁っているのに、どんなに風が吹いても落葉したことがないという。椎の木は常緑樹のため落葉樹に比べれば葉が落ちにくということがあるが、人が見るといつもきれいに掃除されているので、このような話が出来たと思われる。また、このことが有名になり、松浦家は「椎の木屋敷」と呼ばれるようになった。

 

片葉の葦

留蔵というならず者はお駒という美しい娘を想っていて、ある日、母親の用事で出かけていたお駒に両国駒止橋近くでせまったが相手にされず、怒った留蔵はお駒を斬り殺して堀へ捨ててしまった。それ以降この付近に生える葦は片方しか葉をつけなくなったという。その後留蔵は狂い死んだともいわれています。

 

燈無蕎麦(あかりなしそば)

本所南割下水近くに、行灯のついていない無人の蕎麦屋の屋台があった。近づいてみると、お湯が沸いて器が並べてあるが、いくら待っても店主は現れない。客が気を利かせて行灯に明かりを点けても、スッとすぐに消えてしまい、何度点けても同じ。気味が悪くなり帰ると、その後は必ず凶事が起ったという。

 

これと反対に「消えずの行灯」という話もある。こちらは、同じく誰もいない蕎麦屋の屋台が出てくるが、逆に明かりが点いたままだという。その点いたままの行灯を無理やり消そうとすると、凶事が起きるという。

 

送り提灯

夜更けに本所出村町(現在の墨田区太平あたり)辺りを提灯を持たずに歩いていると、月が隠れて真っ暗になってしまった。前方に提灯の灯りが見えたので、近づいてみるとスッと消えてしまい、また前方に現れる。何度近づいてみても追いつくことができない。まるで、道案内をしてくれるような提灯であるという。

 

送り拍子木

本所入江町(現在の墨田区緑あたり)の時の鐘近くで夜回りをしていると、どこからともなく拍子木のカチカチという音が聞こえてくるという。

 

江戸における時の鐘は、二代将軍秀忠の頃、日本橋本石町三丁目(現在の日本橋室町三丁目)に初めて設けられ、それ以降、浅草、本所、上野、芝、市ヶ谷、目白、四谷のほか17カ所に設けられました。時の鐘には不思議な力が潜んでいると考えられていたようで、このような鐘にまつわる話が生まれたと思われる。

 

津軽家の太鼓

火事を知らせる際に町方では半鐘を叩き、大名屋敷では板木を打っていたが、南割下水近くにあった弘前藩津軽家上屋敷だけは何故か太鼓を打つことを許されていた。なぜ津軽藩だけが太鼓を叩くことを幕府に許されたのか誰も理由は分からず、人々は不思議がって、いつしか七不思議のひとつに数えられるようになった。

 

狸囃子(馬鹿囃子、馬鹿太鼓)

夜になると、どこからともなくお囃子の太鼓が鳴り響き、遠くで聞こえたと思うと近づいてきたりと、どこから聞こえてくるのか分からず、なんとも不思議な囃子だった。また、お囃子の音を追いかけて行き、ふと気が付くと時間も大分経ち、遠くの野原の真中で寝ていたという。お囃子の正体は不明で、いずれも狸のいたずらとしている。

 

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