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有楽町【千代田区】…織田家に繋がる街
有楽町は現在の霞ヶ関・丸の内のビジネス街と繁華街「銀座」をつなぐエリア。東京駅から程近く、都内でも有数のビジネス街です。ラジオドラマ「君の名は」で有名な「数寄屋橋」という橋が架かっていましたが、昭和26年(1951)から始まった外堀の埋め立てにより撤去され、今は「数寄屋橋交差点」とその名だけが残っています。なお、この橋名は、江戸城内の茶室や茶道具の管理を行う“数寄屋坊主”を指揮する“数寄屋頭”の屋敷があったことに由来します。
さらに、数寄屋橋が架けられる以前のこのあたりは、織田有楽の屋敷が慶長年間(1596~1615)にあったことにちなみ「有楽原(うらくばら)」といわれていて、その後の明治5年(1872)に「有楽町」という名称になりました。織田有楽とは織田長益のことであり、戦国武将織田信秀の十一子(信長の弟)です。
現在、有楽町マリオンが建っている位置には、時代劇(大岡越前、遠山の金さん)でおなじみの「南町奉行所」がありました。
【有楽町周辺のおすすめスポット】
◆日比谷公園
花壇などがある西洋風公園。敷地内には音楽堂やテニスコートも
◆東京交通会館
複合商業施設。日本各地の特産品が買えるアンテナショップが集まる
◆日比谷シャンテ
大型複合施設。ファッションから生活雑貨まで多彩なショップやビュティ―&リラクゼーション、レストランも
◆有楽町イトシア
銀座から有楽町エリアを繋ぐ複合商業施設。有楽町マルイや映画館のヒューマントラストシネマ有楽町が入る
◆ルミネ有楽町
丸の内と大手町の結節点に立地、働く人をメインターゲットにした商業ビル
◆有楽町マリオン
銀座の待ち合わせの定番のからくり時計(マリオンクロック)が有名な複合商業施設
八重洲【中央区】…日本に漂着したオランダ人に由来
東京駅西側一帯を指す「丸の内」に対し、東側一帯を指すのが「八重洲」。隣接する丸の内・大手町・有楽町・日本橋・京橋とともに、日本最大のビジネス街を構成します。
この「八重洲」という地名は、江戸時代初期に日本に漂着したオランダ人『ヤン・ヨーステン』が「ヤンヨウス」、「ヤヨウス」などと呼ばれたことに由来するといわれています。ヤン・ヨーステンはオランダのデルフト市の名家の出身で、家康に召し出されて外交交易について進言したり、通訳として活躍しました。幕府から日比谷堀端に屋敷を与えられ、やがて彼の屋敷にちなんで和田倉門から日比谷にかけてのこの堀の岸を「やよす河岸」「八重洲河岸」と呼ぶようになりました。しかし、昭和4年(1929)の町名変更で本来の八重洲という地名は丸の内となってしまい、かつて外濠川に架かっていた八重洲橋がその名を残すことになります。
八重洲橋は、明治17年(1884)、外濠川の呉服橋と鍜治橋との間に地名にちなんで架けられ(東京駅東側の八重洲口中央口交差点付近)ました。一旦、大正3年(1914)東京駅の開業にともない取り壊されましたが、関東大震災後の大正14年(1925)、震災復興再開発事業の一環として再度架橋され、昭和23年(1948)に外濠川が埋め立てられるまで存在していました。そして、八重洲橋撤去後の昭和29年(1954)、日本橋呉服町・槇町が改称して、橋の名にちなみ八重洲という町名が生まれました。これで、東京駅を中心として、かつての八重洲があった西側が「丸の内」、橋を渡った対岸の東側が「八重洲」とする位置関係になりました。
【八重洲周辺のおすすめスポット】
◆グランルーフ
東京駅八重洲口の南北を繋ぐ商業施設。帆型の大屋根、街の景色を望む歩行者デッキが特徴
◆京橋エドグラン
東京駅東のショッピングモール。高さ約31mの吹き抜けのある京橋中央ひろば(ガレリア)は待ち合わせに最適
◆東京スクエアガーデン
落ち着いた雰囲気の商業施設。個性豊かな名店などが揃う
◆東京宝くじドリーム館
ナンバーズやロト6などの抽選会が行われていて、その模様を見学できる
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