江戸時代から伝わる、「なんとかの七不思議」。怪談など7つの物語がまとめられて色々と伝わっていますが、そこには江戸の地域や地形に基づいて特色ある話題が語られ、いまに通じるものも。怪談話を知ると、いまの「東京」を深く知るきっかけにもなるかもしれません。
怪談、奇談、摩訶不思議な話…「江戸の七不思議」から「東京の街」を読み解く (※写真はイメージです/PIXTA)

東京の暮らしを豊かにする情報満載のWEBメディア「TOKYO@14区」
ほかの記事も読む(外部サイトに遷移します)>>>

八丁堀七不思議

八丁堀は町奉行の配下である与力や同心らの組屋敷があり、話の内容は怪談というより、旦那たちゆかりの逸話が数多く残されています。

 

寺あって墓なし

江戸時代初期、「八丁堀寺院町」と呼ばれるほど八丁堀の武家地外には多くの寺院がありました。しかし、明暦の大火を機に、当時西八丁堀丘崎町にあった玉円寺以外の寺は江戸の中心から離れた地へ移りました。その残った玉円寺は布教を主としていため墓地を持っていませんでした。なお、場所は変わりましたが玉円寺は現在も残っています。

 

女湯の刀かけ

男湯は朝から混み合うので、八丁堀の人たちが与力・同心に日頃からお世話になっていることのお礼として、通勤前にゆっくりお風呂に入ってもらえるよう、朝は利用者の少ない女湯を開放しました。刀を差してくる彼らのために、朝に限り女湯に刀掛けが用意されました。

 

間米の玄関

同心の間米が犯人逮捕の功績を上げた際に怪我をしました。それを知った奉行が褒美をやるから望みを申せと言ったところ、「与力になりたい」と正直に言いづらく、遠回しに「玄関を構えたい」と言ったところ、与力になることなく、玄関だけ設けることが許されました。そのことが恥ずかしく、玄関を表ではなく裏に構えました。

 

金で首がつながる

八丁堀の与力・同心は町の人からの頼まれごとも多く、「金を出しさえすれば、切られた首も繋がる」つまり「首が飛ぶような罪も賄賂で手心が加えられる」という噂がありました。

 

奥様あって殿様なし

薄給の与力・同心は、与えられた土地の一部を酒屋や医者など町の人々に貸して生活していたため、武家地でありながら町地として扱われていました。それ故、町の人々から信頼され、親近感を持って「旦那」と呼ばれてました。「奥様」の対語である「殿様」と呼ぶ人はあまりいなかったとのことです。

 

地蔵橋あって地蔵尊なし

いつの間にか地蔵だけが橋の袂から移され、「地蔵」と名の付く橋だけが残ってしまいました。

 

鬼の住居に幽霊が出る

茅場町1~2丁目の間にあった与力の屋敷には高い塀があり、夜はかなり暗い道になっていました。「嘉永日記抄」によると、そこは幽霊横丁と呼ばれ、毎晩首を白く塗った幽霊が出没し、通行人の袖を引っ張ったと言います。実際は幽霊ではなく、夜の世界で働く女性たちだったとのことです。

 

その他にも、「地獄の中の極楽橋」、「金があっても貧之小路」、「八丁堀にあっても神田」、「佐瀬勇太夫の表裏」などの話があります。

 

【住建ハウジング】
業界No1の動画数と写真で「東京の一戸建て・土地・投資物件」をご紹介

(外部サイトに遷移します)
>>>