日本では、生活に困窮した人もなんとか食事にありつくことができ、必要最低限の栄養をとることが可能です。しかし、それでもなお「餓死」してしまう人がいます。その背景には、行政が手を尽くしても、餓死の危機に直面するほどに困窮した人を捕捉しきれないという構造があります。ノンフィクション作家・石井光太氏の著書『世界と比べてわかる 日本の貧困のリアル』(PHP研究所)から一部抜粋してご紹介します。
日本で「餓死者」が出るのはなぜ?「行政」が生活困窮者の「シグナル」を察知できない理由 (※写真はイメージです/PIXTA)

餓死事件を「行政の対応」で防ぐことが困難な理由

では、日本では人が餓死することはないのか。そういうわけではない。ごく稀にではあるが、日本でも餓死に関するニュースが流れることがある。

 

一例として、NHKのニュース番組で報道された事件を紹介する。2019年のクリスマスイブに東京都内の集合住宅で70代と60代の兄弟の遺体が発見されたという事件である。

 

兄弟ともに瘦せ細り、体重は兄は30キロ台、弟は20キロ台しかなく、低栄養と低体温の状態で死亡したとみられるとのことであった。

 

料金の滞納で電気やガスが止められていて、食料は電源が入っていない冷蔵庫の中の里芋のみ。水道も7月から料金を滞納し、止められる直前だったという。2人とも無年金で、兄が働いてわずかな収入を得ていたが、その兄も体調を崩して働けなくなり、無収入の状態であった。生活保護の申請はなされていなかった。そして、区の職員も、近隣の住民も、親類も、兄弟が困窮していることを把握していなかった。

 

こうした餓死事件は過去に何度も起きており、ニュースになるたびに「行政の対応の不備」が指摘されてきた。

 

しかし、正直にいえば、この類の事件を防ぐのは容易なことではない。当事者が認知症の進んだ独居老人であったり、知的・精神障害の人であったりするためだ。症状がそこまで進行していない間はなんとか生活ができていたとしても、何かのきっかけで急に悪くなることで、世間との関係が絶たれ、生活を維持できなくなってしまう。それによって、誰もシグナルを察知できず、餓死という最悪の事態が起こるのだ。

 

行政も高リスクの人への「見守り」の重要性は理解しているが、すべての家庭を細かくチェックするのは不可能だ。「最初から症状が深刻な人」ならともかく、「ある日突然悪化した人」まで漏れなく把握するのは難しい。

 

上記の事件にしても、報道によれば、収入があったのは兄だけだ。その兄が体調を崩していたことを考えれば、ある日を境に2人の生活が急にうまくいかなくなったのであろうことは想像がつく。

 

メディアは、餓死が起きたことを報じても、当事者がどのような問題を抱えていたのかを伝えることはない。だが、その部分に注目しなければ、事実を見誤ってしまう。

 

 

石井 光太

作家