為替レートと貿易
◆為替レートが減価すると輸出が増加するワケ
輸出と輸入は為替レートの影響を受けるが、一般に輸出の方がより大きな影響を受けると考えられており※1、為替レートが減価すると輸出が増加する。
※1 輸入は国内景気の影響をより強く受けると考えられている。輸入品のうち、宝飾品などの高級品は景気動向に左右されやすい。エネルギーは不況であっても一定量の輸入が必要だが、好景気になるとエネルギーの消費量は大きくなり、輸入も増える。食品にも同じような傾向がある。
1個2400円の商品をアメリカに輸出するケースを考えてみよう。1ドル=100円であれば、1個2400円の商品は1個24ドルになる。1ドル=120円になれば、1個2400円の商品は1個20ドルになる。円で表示した円建て価格では2400円のままであっても、為替レートが変わるとドル建て価格が変化する。
円安になるとドル建て価格は下落し、円高になるとドル建て価格は上昇する。同じ商品であれば価格が低い方が売れ行きが良くなるため、円安は輸出を増加させる。
実際には、円安に合わせて値下げすることは可能でも、その後の円高に合わせて値上げをするのは難しい。また、価格の改定には顧客への周知などのメニューコストがかかる。このような理由から、輸出企業が為替レートの変化に合わせて頻繁に価格を改定することはない。円安の効果はドル建て価格ではなく円建て収入によってもたらされる。1個20ドルの商品の円建て収入は1ドル=100円の時には2000円、1ドル=120円の時には2400円になる。
アメリカでの販売収入は現地で店舗の改装などに再投資されることも多く、必ずしも日本に還流するわけではないが、日本企業の決算は円建てで行われるために、円安は企業収益にプラスに作用する。また、円建てでの輸出額も増加する。輸出企業の収益が好転すれば、輸出企業の株価が上昇する。輸出企業銘柄を多く取り入れている株価指数も上昇する。日本の大手企業では、1円の円安で数億円から数十億円の増収要因になる。
一方で、輸入企業にとっては、円安により仕入れ価格が上昇してしまうために減収要因になる。円安に応じて値上げすることは難しいため、円安による仕入れ価格の上昇分だけ利益が減少し、株価の下落要因となる。
◆グローバル化により、「為替レート」と「貿易」の関係は複雑化
為替レートと輸出の関係は21世紀に入ってより複雑になってきている。
20世紀には完成品の貿易が多かったが、21世紀に入るとグローバルなバリューチェーンの構築に伴って資本財(capital goods)や中間財(intermediate goods)の貿易が急増している。
バリューチェーンとは、製品の製造過程が複数の場所を経由することであり、国境を越えてチェーンが展開されることも多い。製品の企画や基幹部品の生産は先進国で、汎用部品の生産や組み立ては途上国で行うことにより、輸送コストを支払った後でもトータルの製造コストを削減させることができる。
21世紀に入ると技術革新により物流(logistic)やデータの転送がより効率的に、低コストで実現できるようになったことが背景にある。資本財とは機械設備やロボットのような生産設備のことであり、中間財は部品などの材料を指している。これらはグローバルなバリューチェーンを維持するためには必要不可欠であり、為替レートが変化したからといって輸出入を止めることはできない。
日本からロボットや部品を輸入して東南アジアで生産している企業にとっては、少々円高になったからといって部品の輸入を止めるわけにはいかない。輸入を止めるとチェーン全体が止まってしまうためである。そうすると、円高になっても日本の部品の輸出はあまり影響を受けないことになる。
◆「マーシャル=ラーナー条件」が果たす重要な役割とは?
為替レートと輸出入の関係では、マーシャル=ラーナー条件が重要な役割を果たす。
マーシャル=ラーナー条件とは、輸出品の売買が価格に大きく左右される場合にのみ、円安で輸出が増加するというものである※2。完成品の販売は価格に左右されるものが多いが、資本財は価格の影響を受けにくい。
※2 より正確には、円安により貿易収支が黒字方向に動くための条件は、輸出品の価格弾力性と輸入品の価格弾力性を足して1を超える、というものである。価格弾力性とは価格が1%上昇した時に消費が何%減少するのかを表す指標であり、価格が変化しても消費量が全く変化しなければ価格弾力性は0になる。
高度な技術が使われているロボットなどは他の国から代替輸入することができないためである。中間財もバリューチェーンの維持に必要であるために価格の影響を受けにくい。
為替レートと貿易の関係を考えるには、どのような製品が主に取引されるのかを考慮する必要がある。途上国では主要な輸出品が1-2種の商品(commodity)という国もある。このような状況をモノカルチャー(monoculture)ともいう。
モノカルチャー経済では農産物や鉱物などが主要な輸出品になっているケースが多いが、為替レートの増価により価格が高くなってしまうと、他の途上国に需要が移ってしまいやすく、輸出が大きく減少してしまう。レアアース※3のような他の国での代替が難しい商品ではこのような問題が起きないが、代替が簡単にできる商品を輸出している国では為替レートは重要な問題となるため、ペッグ制の採用が検討される。
※3 ネオジム、ジスプロジウムなどの希土類元素を指す。ネオジムやジスプロジウムは強力な磁石を作るために用いられる。リチウム、インジウムなどのレアメタルとともに、産業に重要な元素であるが、生産地が偏っているものが多い。
為替レートと投資…「直接投資」と「証券投資」
次に為替レートと投資の関係を考えてみよう。
投資には直接投資と証券投資がある。このうち、直接投資は為替レートの影響を比較的受けにくい。特にグリーンフィールド投資は計画の策定から資金調達、投資の実施まで多くのプロセスを経て実行されるため、為替レートがよほど大きく変化しない限りは滞ることはない。一方で、国内経済や企業業績の急激な悪化などの影響を受けやすい。
証券投資は為替レートの影響を受けやすい。投資収益のインカムゲインとキャピタルゲインの双方とも為替レートの影響を受ける。アメリカの投資家がインドに投資する例を考えてみよう。
1ドル=70ルピーで100万ドル投資すると、ルピー建てでは7000万ルピーになる。利回りが5%のインドの1年物社債に投資をし、税や取引手数料を無視すると1年後には元利合計が7350万ルピーになる。しかし、この投資期間中にルピー安が進んで1ドル=77ルピーになると、7350万ルピーは約95万4500ドルとなり、元本割れしてしまう。このケースでは、1ドル=73.5ルピーよりも、つまり5%を超えてルピー安になると元本割れする。
1年後に大幅なルピー安を予想する投資家はインドへの投資を行わないだろうし、投資の途中でルピー安が進めば、満期を待たずに社債を売ってドルに換金しようとするだろう。為替の減価は輸出に好影響を与えるが、一方で外国の投資家にとっては損失をもたらす。国内の資金が不足し外国からの投資に頼っている国では、為替の減価は株価や不動産価格の下落につながりかねない。
「実質為替レート」と「実効為替レート」
外国為替市場で表示されている為替レートは名目為替レート(nominal exchange rate)という。物価水準を考慮して表示した為替レートを実質為替レート(real exchange rate)という。金融投資によって10%のキャピタルゲインがあったとしても、投資期間中に物価が10%上昇すれば、金融資産で購入できる食品などの量(購買力)は変わらないことになる。このケースでは、物価を考慮しない名目では金融資産は10%増加し、物価を考慮する実質では金融資産は0%増加したことになる。名目と実質の関係を表す式をフィッシャー式といい、式内のすべての数値が%で示されるときには、
名目値(%) = 実質値(%) + インフレ率(%)
となる。なお、インフレ率が10%から12%に上昇すると、インフレ率の上昇率は20%となるが、2パーセンテージポイント(%ポイント)の上昇という表現もある。パーセンテージポイントというのは長いため、単に2ポイントの上昇ということも多い。
対ドルや対ユーロといった個別の通貨に対して自国通貨が増価したか減価したかを知ることは簡単であり、名目為替レートか実質為替レートを参照すればよい。しかし、対ドルでは減価し、対ユーロでは増価しているような場合には、自国通貨が総合的に見て増価したのか減価したのか判断するのが難しくなる。
そのような時には、実効為替レート(effective exchange rate)を用いる。実効為替レートの算出には、加重平均という計算方法を使う。ある国の貿易相手国が、アメリカ40%、ユーロ地域30%、日本10%、イギリス10%である時の実効為替レートは、
実効為替レート = 40% × USD + 30% × EUR + 10% × JPY + 10%×GBP
となる。実効為替レートにも名目と実質がある。実効為替レートは為替レートと貿易の関係の分析に用いる。
川野祐司
東洋大学 経済学部国際経済学科 教授