専門家の立会わない出産「無介助分娩(プライベート出産)」は国の政策やガイドラインによる規制があるにも関わらず、年々増加傾向にあります。本記事では、助産師の市川きみえ氏の著書『私のお産 いのちのままに産む・生まれる?』より一部抜粋・再編集し、「無介助分娩(プライベート出産)」経験者の声を紹介します。
助産所で健診を受けていたが…妊婦が「プライベート出産」を決意したワケ (※画像はイメージです/PIXTA)

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「プライベート出産(無介助分娩)」とは?

近年増加している無痛分娩は、出産が医療の管理下に行われるものであることを前提に、医療の力で陣痛の痛みを緩和させることで満足のいく出産をしたい選択であるのに対し、プライベート出産(無介助分娩と同義:本人が意図的・計画的に医療者の立会わないプライベートな環境で出産することを決め、準備も整えて行う出産で、かつそれを当事者が自己開示する出産)は、医療の介入がない環境で出産することにより、満足のいく出産をしようとする出産方法の選択です

※詳細は「現代における出産…「無痛分娩」と「無介助分娩」の二極化が進む背景」(資産形成ゴールドオンライン)参照。

22歳のとき、病院で第1子を出産するも…

C・Cさんは、2006年に病院で出産した後、2008年から2014年の間に北海道で第2子~第4子の3人の子どもをプライベート出産しています。

 

22歳の若さで第1子を出産した際には、出産は病院でするものだと思っており、本州にある実家近くの大学病院で出産しました。しかし、家族の立会いはなく、病院では放置状態にされ、選択の余地もなく会陰切開をされた出産が良い思い出ではなく、後に病院出産に疑問を持つようになりました。

 

なお、会陰切開とは、分娩時に剪刀で会陰を切開する手技で、会陰の深部や肛門に裂傷がおよぶのを防ぎ、児の娩出を容易にする目的で行われるものですが、『WHOによる医学的に正しいお産を保証する59か条』では、「しばしば不適切に使われたり、不適切に実施されること」の中の一つに挙げられています。

 

こういった第1子の出産体験からC・Cさんは自宅出産に関心を持ち、第2子の出産には自宅出産を希望しました。しかし、この地域には自宅出産に立会ってもらえる開業助産師はいません。

 

ようやく通院に約1時間半かかる場所に助産所を探し当て、そこで妊婦健診を受けていました。しかし、陣痛が始まってから助産所まで移動する(助産所に行く)のを避けたいと考え、自宅で生まれてしまったことにしようと考えました。

 

「○助産院にはかかっていたんだけれども、

 

(略)

 

焦って車に乗ってハラハラするのも良くないと思って、だったら家でゆっくりとここにいていいんだという安心感で産みたかった。緊張もしたくなかった」

 

私は、C・Cさんが、陣痛が始まってから遠距離を移動することは安心、安全ではないと判断したことと、そのためにプライベート出産を選択したことを否定することはできません。自宅出産を望んでも開業助産師に来てもらえない環境こそが問題だと思うからです。

「自宅出産」を引き受けてくれる助産師が見つからない

C・Dさんは、2006年に第1子を診療所で出産し、2014年と2015年に第2子、第3子をプライベート出産しました。C・Dさんは、第1子の陣痛促進剤を使った出産に納得できていませんでした。

 

2回目の妊娠の際、自然出産を望み助産所や自宅出産を引き受けてくれる助産師を探しましたが、居住地周辺にはいないことがわかりました。病産院で産まない選択はプライベート出産の選択です。ところがその妊娠は残念ながら流産となりました。

 

その後、第2子となる次子を妊娠しました。今度はずっと逆子で経過しました。逆子の出産にリスクがあることは承知しており、病産院で産むかプライベート出産するかずいぶん悩み考え、死にも向き合いました。最終的にどのような思いで決めたのかについて、このように話しています。

 

「(第1子の出産は)全然やっぱ無知で知らないから、じゃあ、“そんなに危ないんだったら促進剤お願いします”って言ったけど。でも、やっぱその無知が結局は(略)、病院に丸投げだったんやなって……」

 

「流産して、(略)やっぱいのちって私がどうこうもできなかったので。この子はやっぱり私のおなかに入りたかった子や。(略)この子が本当に生きるんだったら、どんな出産だろうが生きるやろう。で、本当に死ぬいのちやったら、病院でも死ぬものは死ぬんやと。そのときに、私はやっぱ病院で産んで死んだときにすごい後悔すると思って……」

 

このように、第1子は出産について勉強することはなく、自分で産むという意識もないまま出産し、その結果満足な出産ができず、その反省から、第2子の出産は、自分の力で産みたいと考えていました。しかし地域に助産所はなくプライベート出産の選択しかありません。

 

さらに流産の経験から、生まれてくる子のいのちは、産み方や産み場所で決まるものではなく、子ども自身の生命力によるものと考え選択しました。

 

 

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市川 きみえ

助産師

清泉女学院大学大学院看護学研究科・助産学専攻科・看護学部看護学科 准教授

1984年大阪市立助産婦学院卒業。大阪市立母子センター勤務の後、医療法人正木産婦人科にて自然出産・母乳育児推進に取り組み、2011 年より助産師教育・看護師教育に携わっている。2010年立命館大学大学院応用人間科学研究科修士課程修了 修士(人間科学)。2018年奈良女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了 博士(社会科学)。2021年より現職。

著書に『いのちのむすび─愛を育む豊かな出産』(晃洋書房)がある。