「最低賃金の引き上げ」は社会に良い影響をもたらすか
一方、アメリカでは、最低賃金の雇用への影響を中心に過去数十年間にわたり、実に多くの研究が蓄積されてきたが、コンセンサスは未だに得られていない。
長年にわたって、最低賃金の研究に携わってきたNeumarkは、最近の論文(Neumark[2019])で、
「これまでの最低賃金が雇用に及ぼす影響に関する実証研究の結果は、雇用に影響があるというものから、ないというものまで、多岐にわたっており、どれが真実を示しているか判定できない状態である。最低賃金の引き上げは最も技術が低い労働者の雇用を減らすが、それ以外の労働者の雇用には余り影響しないという研究が多い。
しかし、その研究結果から、最低賃金をこれまでよりももっと大きく引き上げても雇用は減らない、という結論を導くことはできない。最低賃金上げ幅が大きくなればなるほど、影響を受ける労働者が増えるからである」
という趣旨のことを述べて、「最低賃金の雇用への影響についての研究をより改善するためには、どのような問題を解決しなければならないか」という問題を提起している。
これが、長年、最低賃金の雇用に対する研究を続けてきたNeumarkの結論である。つまり、最低賃金の雇用への影響に関する実証研究は解決しなければならない問題を多く抱えているという意味で発展途上の段階にあり、断定的な結論を下せる段階に達していないということである。
このように、最低賃金の雇用への影響を実証的に明らかにすることが難しいのは、「仮に、最低賃金が引き上げられなかったならば、雇用はどのようになったか」という「実際には起きなかった仮の状況の下で起きただろうことを推測すること」が難しいからである。
このNeumark論文(2019)は、真実を「こういう論文が多い」という多数決で決めようとする態度を戒めた論文として読むべきであろう。
なお、最低賃金の引き上げは、技術力の低い労働者をより技術力の高い労働者に置き換えることを促進するとか、サービス価格の引き上げにより消費者に転嫁される、といった結論を導く研究も少なくない。
さらに、アトキンソン氏が主張する、最低賃金の引き上げは労働生産性を高めるという点を裏づける実証研究はほとんどない。日本では「最低賃金は労働生産性を引き上げない」という森川正之(2019)のアトキンソン説を否定する研究しかない状況である。
岩田 規久男
前日銀副総裁