子どもが不登校になったら、保護者は愕然としてしまうかもしれません。 しかし「学校にさえ行ってくれたら」と思ってしまうと、子どもはその期待に応えられない自分を責め、さらに学校に行きづらくなるという悪循環を生みます。本記事では、不登校児の親としてこの問題に対峙してきた、ほしな和生氏の著書『子どもが不登校になったら』から一部を抜粋・再編集し、「不登校の子ども」との向き合い方について考えます。
夫「子どものために仕事を辞めて欲しい」子が不登校になった母親の葛藤【フリースクール設立者の実話】 (※画像はイメージです/PIXTA)

母の気持ち「自分の気持ちを押し付けてはいけない…」

家では、ゲーム、読書と、毎日の宿題(学校のではなく、相談先で出されたもの)、みそ汁などを作る料理の手伝いなどをして日々過ごしていました。私は、学校の別室に行けても行けなくても、子どもには、「ああ、そっか」とだけ言って、心の中では喜んだりがっかりしながらも、極めて平静を装いました。

 

なんとなくですが、自分の気持ちを子どもにあまり押し付けてはいけない、と漠然と思っていました。このときは、まだ学校の教室に再び通えるようになることを期待していて、手帳のカレンダーにも、行けた日、行けなかった日を逐一チェックしていました。

中学二年生、小学校時代の友達と同クラスになるも…

中二になり、クラスのメンバーが変われば教室まで行けるんじゃないか、と結構期待して、小学校時代仲良しだった子も同じクラスにしてもらいましたが、やはり行けず。私は学校まで送って行くことをやめて途中まで送り、そこから先に行くかどうかは子どもの意志に任せることにしました。いつか、また一人で通えるようになるための練習と思って。

 

でもやはり学校の別室に行けたり行けなかったりで、中一の頃と同じような感じ。でもたまに一週間毎日行けたりしました。そのときは、新しい担任の先生も手放しで喜んでくれました。そこで、学年の終わりに、「仲良しの子を中三でも同じクラスにしてもらえませんか」と先生にお願いしました。そういうことは、案外聞き入れてもらえるようです。

 

この頃は、子どもがもし高校に進学したい、となったときに入試で困らない程度に、塾で数学と英語のみ、教えてもらっていました。その他の科目はあとからなんとでもなる、と思いましたので。

 

中三になると、家の前で、「じゃあね」と別れてそこから毎日学校の別室まで一人で行けるようになりました。別室には仲良しの子も何度か来てくれていたようです。私は相変わらず子どもがまたいつか学校の教室に通えるようになることを期待していました。