『不完全な親子』。父、そして母の介護を続けていた松谷美善氏は、自身の著書のなかで、家族との触れ合いを「不完全」と語ります。愛はある。でもどこかチグハグな関係……父を看取り、「恐ろしく遠回りをして」、同氏が得た一つの気づきとは。
「父と手をつないで歩いた記憶もない」チグハグな関係だった娘…“父の死の瞬間”を見て悟った、一つの真実 (※画像はイメージです/PIXTA)

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「お茶や水を飲まずに捨てていた」急逝した父の真意

私の父は、2016年6月に急逝しました。

 

脳梗塞でした。

 

倒れてから、わずか4日で亡くなりました。

 

倒れるちょうど1週間前、私は介護老人保健施設で父に面会していました。お茶や水を飲まずに捨てていると、職員からの申し送りがありました。部屋を訪れて、「パパ、出されたお茶はパパの体に必要なものなんだから、捨てないで飲みなさいよ」と、私は父に注意しました。

 

父の死後、知り合ったリハビリ施設の方に、「お父さんは飲みたくても、そのときはもう嚥下ができない状態だったのかもしれない」と、教えられました。

 

そう聞いたとき、生まれて初めて、私は父から人生において最大で最重要なことを教わったように思いました。死に方のお手本を父が身をもって教えてくれたように感じたのです。

 

倒れて4日あまりで逝ってしまう、それは私を苦しめまいとしたようでした。私も願わくば、自分の最期を父のように迎えたい、父のように死にたいと、このとき強く心に刻みました。

 

2016年の6月初旬に話を戻します。

 

突然ケアマネージャーから、「お父さんが脳の病気で意識が混濁しているから、救急搬送します」との電話連絡が入りました。

 

まだ受け入れの病院も決まらないままにタクシーに乗ったまま、いつでも移動できるように待機していたときには、まだなんの感情も湧きませんでした。

 

まさかそれが最期になるとは思わず、けれども、どうしようもなく胸の内でざわつく思いを必死に打ち消して、考えないようにしていました。

 

受け入れの病院が決まり、待ち構えていた私の前に、入ってきた救急車からストレッチャーで降ろされた父の顔は蒼白でした。

 

私はそこで初めて事態の深刻さを認識したのです。