物価が安く、気候が温暖な東南アジアでのセカンドライフを目指す高齢者は多い。若い現地人妻・温かい家族と豪邸で暮らす人も少なくはないが、言語や環境に適応できず、女性にも捨てられて無一文で暮らす人がいるのも事実である。それでも日本で老後を送るよりは…と海外移住を決意した人々には、それぞれ語られるべきドラマがあった。ここでは、フィリピンで長く取材を続けたノンフィクションライターの水谷竹秀氏が、マニラで暮らす日本人男性・小林さんと、妻・エレンさんのこれまでを紹介する。 ※本連載は、書籍『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)より一部を抜粋・再編集したものです。
元警官男性「マニラで年金暮らし」24歳下フィリピン人妻との仲睦まじさに“正直驚いた”ワケ (小林夫妻 撮影:水谷竹秀氏)

「自分から結婚してほしいと言ったわ」…小林さんに惹かれるまで

「家族から期待されてお金を送り、自分が何でこんなに家族のために犠牲になって働かなきゃいけないのかなと思う時もあったよ。店長から客の指名は拒否するなと怒られたことも重なって、よく泣いたわ。でも慣れるしかなかった。人間じゃなくて、自分の体をロボットのようにしなきゃいけない。そんな心境だったの」

 

エレンさんは小林さんと結婚する前、すでに別の日本人男性と結婚していた。しかし、相手の経済力がなかったことなどが原因で離婚した。そして新宿のパブで働いていた時に、小林さんと出会ったのだった。何度も店に来る小林さんの真剣さに、エレンさんは次第に惹かれていった。

 

「パパはとにかく優しい。毎日のようにお店に来て、私を指名したの。私のことをよく理解してくれ、女性が好きになってくれるまで待つタイプの人よ。落ち着いた生活を送りたかったので、自分から結婚してほしいと言ったわ。そしたらパパは結婚するならフィリピンに住もうと言ってくれたの」

 

エレンさんは一足先にフィリピンへ戻り、2人が住む家を建てるための準備をした。そして、2000年半ばに移住した小林さんとの間に2人の子供をもうけた。

 

 

水谷 竹秀

ノンフィクションライター

1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業後、カメラマン、新聞記者などを経てフリーに。

2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』(集英社)で開高健ノンフィクション賞受賞。他に『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社)など。

10年超のフィリピン滞在歴をもとに、「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材している。