バブル崩壊後の「17人の総理大臣」と「会社員の平均給与」
1990年のバブル崩壊時は、海部総理大臣。そして1993年、8月9日までは宮澤総理、以降は細川総理。「会社員の平均給与が下がる」という事実に初めて直面した総理大臣だったといえるでしょう。
バブル崩壊以後、海部総理から菅総理まで17人の総理大臣がいましたが(安倍総理は第1次、第2次、合わせて1人とカウント)、その多くが「会社員の給与が前年比割れ」を経験したといえます。
麻生総理、鳩山総理時代…会社員の平均給与の下げ幅は最大に
最もマイナス幅が大きかったのは2009年で、2008年429万6000円から405万9000円と20万円以上も下落。前年比94.48%となりました。当時、9月16日までは麻生総理、以降は鳩山総理。ちょうど政権が交代した年でした。
2009年といえば、リーマン・ショック。アメリカの投資銀行、リーマン・ブラザーズ・ホールディングスが2008年9月15日に経営破綻したことで、世界規模の金融危機が発生。日経平均株価は、9月12日に12,214円でしたが、それからわずか1か月半で6,000円台まで下落。幸い日本は、サブプライムローン関連債権などを多くは保有しておらず、一部の会社で大きな損失を記録したものの、直接的な影響は小さなものでした。しかし世界経済全体の落ち込み、相対的な円高などにより、日本の景気も大幅後退。会社員の給与にも大きな影響を与えたのでした。
小渕総理、小泉総理、福田総理の時代も、会社員の給与は大きく下がった
ほか会社員の平均給与が大きく下落し、前年比98%以下を記録したのは、1999年(前年比98.72%)、2002年(同98.63%)、2004年(同98.85%)、2008年(同98.26%)。1999年当時は小渕総理、2002年と2004年は小泉総理、2008年は福田総理から麻生総理に変わった年でした。
1999年は、不良債権問題により、97年、98年に続いて5つの金融機関が破綻。さらに緊縮財政、消費税増税、アジア通貨危機などの影響で、98年は実質マイナス成長に。その余波が会社員の給与にあらわれた年でした。
2002年は、ITバブルの崩壊の余波がまだまだ残っていたころ。いざなみ景気が始まった年とされていますが、極度な就職氷河期、企業業績の低迷など、それほど明るい話題はなく、経済成長率は極めて低調で、実感なき経済成長などと呼ばれていました。
2004年もまた、実感なき経済成長のさなか。政治家の年金未納問題で政治不信が強まり、日本の人口の自然増がストップ(2005年に初めて自然減を記録)した年。2004年3月から製造業務における労働者派遣が解禁となり、さらに雇用形態が多様化したのもこの年でした。それによって、中間層が減少し、格差が助長されたという議論は前出の通りです。