オードリー・タンの母、李雅卿氏が創設した学校「種子学苑」。子どもたちは、何を学び、いつ休むかを自分で決める自主学習を行います。ここでは、「いい子」という言葉に疑問を持った生徒の文章から、同氏が「いい子」「悪い子」について解説していきます。 ※本連載は書籍『子どもを伸ばす接し方』(KADOKAWA)より一部を抜粋・編集したものです。
「子どもはいい子であるべきだ」と育てられた大人たちの悲しい末路 ※画像はイメージです/PIXTA

親が、どんなに賢い大人でも…

これに加え、世間体や他人の評価を気にするあまり、親は子どもに「自己犠牲による社会貢献」を説くのではなく、「親の言うことは絶対だ」「叩くのは、お前を愛しているから」などともっともらしいことを言います。

 

質問や意見が許されなければ、子どもという弱い存在は自分の感情を押し込めるしかありません。これを繰り返すうちに、幼い子どもは仕方なく辛い記憶を受け入れ、自分も親と同じ考えに基づいて行動するようになります。

 

どんなに賢い大人でも、「子どもはいい子であるべき」と思っている限り、子どもが自分で考え、自分で成長する力を養うことはできません

 

もちろん親は子どもの面倒を見なくていいとか、子どもを自己中心的に育てようと言うのではありません。親自身が自分の行動を省みることが必要で、子どもに一方的に考えを押し付けずに、親子で信条や価値観について話し合う機会を作るべきだと言いたいのです。

 

こうすれば、大人は自分がどんな考えに基づき行動しているのかを再確認できますし、子どもはこれをきっかけに成長することができます。

 

こうして受け入れ、認め合い、話し合ううちに、私たちは本当の意味でお互いを尊重し、愛することができるようになります。

 

あなたは「いい子のことを忘れないで」と大人たちに呼びかけ、いい子の考え方や気持ちをできるだけ理解してほしいと言っていますね。でも私の考えは違います。この世界に「いい子」なんていらない。どんな子でも自分を肯定し、大切にするために努力できる世界になってほしい

 

そうすれば、子どもは大人の言葉の支配から解放され、自立した人間に成長します。

 

ここ数年、私は一般校からこの学苑に転校してきた生徒をたくさん見てきました。真面目で優秀ないい子、大人の目には救いようがないと映る悪い子、自分を大きく見せようとするか、反対に自分を卑下する子。

 

皆この学校で、自分らしさや効率的な自主学習の方法、さらには世の中や自分と向き合う方法を学んでいます。私たち先生は、自分の道を見つけようとする子に寄り添い、サポートできる環境を作っているにすぎません。必要な時は自分の経験を語り、子どもと一緒に考えます。