中国当局が成長率の下押し圧力を懸念する、2つの要因
2020年1月末の春節前から、中国武漢市を源として新型コロナウイルス(COVID-19)の感染が拡大しているが、これによって、世界経済全体にも大きな影響を及ぼす中国経済がどの程度減速することになるのか関心が集まっている。現状、中国当局は経済活動を制約して早期に感染拡大を抑え込む必要があると同時に、できるだけ経済の減速は回避したいというジレンマに直面している。
3月初め時点、感染拡大がいつ完全に収束するのかなど、なお多くの不確実要因があり、経済への影響については見方に大きな幅がある。また政治面への影響も注視していく必要がある。
中国当局が特に、COVID-19の成長率に対する下押し圧力を気にする大きな要因は2つある。
第1は、習近平政権下で策定され本年に最終年を迎える現行第13次5ヶ年計画(十三五規画、2016〜20年)が、期間中の成長率目標を「年平均6.5%以上」と設定していることだ。2016〜19年実績(6.8%、6.9%、6.7%、6.1%)から単純平均で計算して、目標を達成するために必要な20年成長率は6.0%以上で大きな問題はなく、十三五規画の中心的目標である「全面的小康(ゆとりある)社会建設」の完了がほぼ実現するはずだった。
習主席は3月の党政治局常務委でもたびたびこの目標に言及し、「実現する勝負どころ(実現決勝)」として、目標達成に意欲を示している。しかし、2019年四半期別成長率の減速が顕著で(6.4%、6.2%、6%、6%と推移)、そもそもCOVID-19の感染拡大前から、海外のみならず中国内の専門家や政府系シンクタンクの間でも、5%台成長の時代に突入するとの見方が出始めていたところだっただけに、成長率に対する新たな下押し圧力の出現は、実現可能と見られていた十三五規画の成長率目標を脅かす要因として警戒されている。
第2は、本年までに総GDPと1人当たり収入を実質ベースでいずれも2010年比「翻一番(倍増)」させるという政策目標だ。類似の目標は古くからあり、中国当局は歴史的にこうした形の目標設定を好んで用いてきた。第13回党大会は(13党大、1987年)、経済建設段階を3つに分けた「三歩走」と呼ばれる総体基本戦略を提示したが、その第1段階として1990年GDPを80年比倍増、第2段階として20世紀末GDPを90年比再度倍増させるとの目標を設定、これらはいずれも前倒し達成された。
現在の政策目標に直接関連するのは、胡錦濤政権時代に設定された「両個(2つの)翻一番」、つまり、総GDPと1人当たり収入を共に2010年比で倍増させるとの目標である。
習政権下で開かれた19党大(2017年)での習報告はこの数値目標に言及しなかったが、これについて当時、党関係サイトは「これまではその時の発展段階を考慮してこうした目標が決定され、またそれが必要でもあったが、現在は高成長から質の高い成長に転換する局面に入っており、(数値目標に言及しなかったのは)各方面の注意を発展の質や効率、不均衡の解消に向けるため」と説明している(2017年12月14日付党中央紀律検査委員会監察部網)。
党内外では、上記十三五規画、および19党大での習報告でうたわれている「全面的小康社会建設完了」の具体的な条件が「両個翻一番」目標の達成であると認識されている。2011年以降の実績から計算すると、目標実現には、2020年総GDPは5.6%強、1人当たり収入は10%強成長する必要があり(収入が具体的にはどの統計を指すのか不明のため、1人当たりGDPで代用計算)、1人当たり収入目標はもとより、最もハードルが低いと見られていた総GDP倍増実現にも黄信号が灯っている。
中国経済への影響、見方が交錯
流布している見方をまとめると、
①収束時期にもよるが、影響は本年第1四半期(Q1)に集中。ただ、マイナス成長(主として海外の見方)〜減速はするがプラス成長(中国内、例えば3月1日付中国地元経済誌界面掲載の万博新経済研究院予測1.2%程度)と成長率予測に大きな幅。
②事態が落ち着くと、V字型回復が期待でき、影響は短期的かつ限定的との見方と、影響は大きくかつ長引くとする見方が混在。
③中国国家統計局が2月製造業・非製造業購買担当者指数PMIを各々35.7、29.6(2005年調査開始以来最低の水準)と発表、民間経済メディア財新発表のPMIも史上最低を記録。またその後、市場の事前予想を大きく超える弱い指標が相次いで発表され(1,2月の工業生産、投資、消費が何れも統計開始以来の大幅落ち込み)、悲観的予測が有力に。
④20年通年成長率への押し下げ圧力は0.1%ポイント〜2%ポイント程度と大きな幅があるが、少なくとも6%台成長は維持できないとの見方が大勢。
楽観的(あるいは強気の)見方は、主に中国当局や2月時点のIMFの見方(通年成長率5.6%。なおIMFはその後3月、感染拡大が中国外に広がっていることを理由に、5.6%を下回る可能性に言及)などを引用する形で、多くの中国地元誌が報道している。その根拠としては、次のような点が挙げられている。
①そもそもCOVID-19は経済成長や景気循環に内在する要因ではなく、その影響は一過性で、事態が収束すれば経済は正常な成長軌道に戻るはず。
②事態収束後、生産再開、在庫補充、政府の対策効果(2月以降、人民銀行が市場への流動性供給を増加し、各種ベンチマーク金利を引き下げ。また、影響の大きい運輸、外食、観光などの分野、中小企業を中心に財政支援を実施)が期待できる。
③2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の経験では、SARSがまん延した同年Q2は大きな影響を受けたが、Q3以降、経済は急速に回復し、年全体の成長にはほとんど影響がなかった(同年Q1〜Q3成長率は11.1%、9.1%、10%、通年10%で前年9.1%を上回った)。
これに対し、影響を深刻に捉える見方(海外の多く、及び一部国内の民間シンクタンクやエコノミストなど)は、失われた消費、特に春節関連など季節性消費を取り戻すことはできないこと、また、現在は基本的にSARS時と様々な経済条件が異なるとし(後述)、SARSの例を安易に参考にすることは、「刻舟求剣(舟に印を刻んで海に落ちた剣を捜す、つまり状況の変化を考えず先例を踏襲する)」との批判を免れ得ないとしている(2月16日付中国地元経済誌騰訊網掲載の長江商学院論考)。
2003年のSARS時とはどこが異なるのか
現在と2003年SARS時とは以下のような点で大きく条件が異なる。
①2003年は、2000年(8.5%成長)からグローバル金融危機がぼっ発する前年の2007年(14.2%成長)にかけて急成長する局面にあったが、現在は成長減速局面にある。
②最も影響を受けるサービス産業の比率が高まっている。3次産業の対GDPシェアは2003年から2019年にかけ約12%ポイント上昇(SARS時42%→2019年53.9%)。SARS時は1、2次産業の回復が早く、それが経済全体の回復につながったが、今回は春節を直撃したことから3次産業への影響がより大きいことに加え、1、2次産業が経済全体を牽引する力はSARS時より弱い。
③SARS時に比べ、工業生産伸びが鈍化している他、全般的に企業の収益力、効率性が弱まっている。
④CPI上昇率がSARS時1%前後であったが、現在は5%超、食品価格は20%超の上昇。貨幣供給量(M2)や社会融資総量(銀行融資、企業や政府の債券発行などの社会全体の信用供与総量)の対GDP比もSARS当時と比べて大きく高まっており(2003年から19年にかけ、各々161%→200%、132%→254%)、金融緩和余地が狭まっている。
⑤経済各部門のレバレッジ比率(債務の対GDP比)が長期的趨勢として上昇、特に非金融企業の比率が諸外国と比べて高く(2019年末151.3%と米国の約2倍、日本の1.5倍)、家計は住宅ローン債務を主因に比率が急上昇しており(2006年11%程度→2019年55.8%)、これが消費や投資回復の足かせとなる(数値は中国社会科学院系列の国家金融発展実験室推計)。
⑥中国経済の世界経済に与える影響が大きくなっているため、中国経済減速→世界経済減速→諸外国の対中輸入(中国の対外輸出)減少のメカニズムが働きやすい。さらに、SARS時に比べ、純輸出のGDP貢献度(対GDP比)は1%未満と低く、輸出が増加しても、それが成長に寄与する度合は小さい。
重要なガバナンスへのインプリケーション
武漢でCOVID-19の最初の症例が認識されてから、指導部が緊急性と危険性を認識して対応し始めるまでになぜ長い時間を要したのか、危険性を指摘した専門家がなぜ罰せられたのか、指導部はなぜ専門家が指摘した危険性を認めることを躊躇したのかなど多くの疑問がある。
他方で事態の危険性を認識した後は、分権的民主国家では成し得ない速さで武漢封鎖等の強権的措置を導入した。2月下旬、広州在住の日系企業駐在員が寄越した第一声は、「改めて中国という国の凄さと怖さを感じた」だった。
こうした疑問や中国当局の政策対応が、「初動対応の遅れ」「情報隠匿」「強権的」といった指導部に対する内外の批判を招いている。2月15日付党理論誌「求是」が2月3日党政治局常務委での習談話全文を掲載したが(「求是」は毛沢東が党中央党校の校訓とした「実事求是(事実に基づき真理を追求)」に由来)、この談話は習主席が1月7日の同会議ですでに対策を指示していたことに言及したもので、「初動が遅れた」との批判をかわす狙いがある。
常務委での議論をこうした形で公表するのは異例で、社会の不安定化をなによりも恐れる指導部が内外の批判に神経質になっていることが窺える。
指導部が対応し始めるまでかなりの時間を要したことは、そのマインドが「全てをコントロールして、社会の安定を確保する」ことに執着し過ぎ、常に自由な情報フローや透明性を抑えようとする傾向があるというガバナンス上の問題を中国の現行統治システムが抱えていることを示している。
短期的には景気への影響、感染拡大収束後の景気回復のスピードとその強さ、世界のサプライチェーンへの影響といった経済面が関心の的となるが、長期的には今回の問題を契機に、「中国の統治システムが(外的)ショックをいち早く察知し迅速に対応・制御する能力を持つようになるのか、指導部が(社会の)安定と規律を重視して、(自らが)歓迎しない情報や議論を抑えようとする性向に変化が生じるのかというガバナンス面への影響がより重要」「ウイルスの後遺症は経済減速という短期的影響から政治支配構造や成長モデルといった領域に及んでいく」などの海外識者の指摘がある(2月18日付米外交誌The Diplomat、26日付米経済誌Forbes)。
他方、中国地元誌上では「市場の失敗に政府が介入するのは当然で、中国政府はそれを行っているだけ」「ウイルスが中国の集権的意思決定メカニズムの欠陥を暴露し、その統治システムへの脅威になっているというのは的外れ」といった冷めた声があり、また、「中央の政策が下部政府に十分伝わらず実行されていないことが問題で、それを改善する契機にすべき」という、むしろ現行統治システムの妥当性とその強化を主張する論調が目立つ(2月26日付地元経済誌21経済網社説他)。
事態収束後、中国当局がまずはそれを宣伝材料として、「中央集権的でトップダウンの統治システムの有効性が証明された」との議論を展開する可能性が高く、実際すでにそうした兆しが見られている。