夏に急増する睡眠の質低下
今年も寝苦しい季節がやってきました。毎朝スッキリと起きられず、「しっかり寝たはずなのに、なんだか体が重い」、「夜中に何度も目が覚めてしまい、日中ずっと眠気を抱えている」といった悩みを抱えてクリニックを受診される患者さんが、夏の時期には急増します。
「寝不足くらい気合で何とかしよう」と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、睡眠の質低下は、私たちが自覚している以上に脳のパフォーマンスに影響を及ぼします。時には仕事の上で重大なミスの引き金になりキャリアを脅かすこともあります。
なぜ熱帯夜で眠りが浅くなるのか
そもそも、気温が高いとなぜ私たちは深く眠れなくなってしまうのでしょうか。その鍵を握っているのは、人間の身体に備わっている「体温調節のメカニズム」です。
私たちの体温には、皮膚の表面の温度とは別に「深部体温」と呼ばれる脳や内臓の温度があります。人間がスムーズに眠りにつくとき、身体は手足の末端にある血管を広げることで熱を外へ逃がし、この深部体温を下げようとします。眠くなった赤ちゃんの手足がポカポカと温かくなるのを見たことがあるかもしれませんが、あの現象がまさしく熱放散です。熱放散のメカニズムにより深部体温が下がることで、脳と身体は「おやすみモード」へと切り替わり、質の高い深い眠りがもたらされます。
ところが、熱帯夜のように気温が高すぎる環境下では、皮膚の表面からうまく熱を逃がすことができません。その結果、深部体温が下がりきらず、脳が「まだ活動を続ける時間帯だ」と錯覚してしまうことにより、眠りへのスムーズな移行が妨げられてしまうのです。
この体温調節がうまくいかない状態が続くと、「ノンレム睡眠(深い睡眠)」の時間が極端に減少します。ノンレム睡眠は、睡眠サイクルのなかでも、特に脳の疲れを取り除き、自律神経のバランスを整えるために不可欠な時間です。
ノンレム睡眠の時間が不足することで、夜中に何度も目が覚めてしまう「中途覚醒」が増え、睡眠の量だけでなく質まで悪化してしまうのです。
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睡眠不足が仕事に与える影響
十分な休息が得られないまま翌朝を迎えた脳は、本来の能力を発揮することができません。特に仕事の場面において、睡眠不足はさまざまな形で悪影響を及ぼします。
まず、集中力と業務効率の低下を引き起こします。睡眠不足の脳は、いわば軽い酩酊状態、つまりお酒に酔っているのと同じような状態にあると言われています。注意力が散漫になり、メールの宛先間違いやスケジュールの見落としなど、普段なら絶対にしないようなケアレスミスが目立つようになります。また、一つのタスクをこなすにも、通常よりはるかに時間がかかり、作業効率が著しく低下してしまいます。
さらに深刻なのは、判断力の低下です。睡眠の質が落ちると、論理的な思考や客観的なリスク評価をつかさどる前頭葉の働きが鈍ります。日々重要な意思決定を迫られる管理職や経営者の方にとっては、目先の利益に惑わされたり、重大なリスクを見落としたりする危険性が高まります。本人はいつも通り冷静に判断しているつもりでも、実は脳が最適な選択肢を見極める力を失っていることがあり、こうした状態での運転などは非常に危険です。
また、記憶力や学習能力にも影響が出ます。人間は眠っている間に、その日学んだことや経験した情報を整理し、脳に記憶として定着させています。睡眠の質が悪いと、このプロセスがうまく機能しません。新しい業務の手順がなかなか頭に入らない、研修の内容を覚えられないといったつまずきは、モチベーションの問題ではなく、単に睡眠が足りていないことが原因であるケースも少なくありません。
そして、見逃せないのが、感情のコントロールが難しくなるという点です。睡眠不足は、人間の原始的な感情をつかさどる部分の働きを過敏にし、感情を抑え込む理性のブレーキを弱めてしまいます。この結果として、他人の何気ない言葉にイライラしたり、部下にきつく当たってしまったりと、職場の人間関係やチームの雰囲気を悪化させる要因にもなります。
もっとも恐ろしいのが、事故リスクの上昇です。デスクワークだけでなく、車の運転や機械の操作、医療や建設現場など、一瞬の気の緩みが命に関わるような現場では、集中力の途切れが取り返しのつかない重大な事故に直結します。睡眠不足は、まさに安全を脅かす最大の敵と言えるでしょう。
気づかないうちにたまる「睡眠負債」への注意
皆さまに強く意識していただきたいのが「睡眠負債」という考え方です。これは、毎日のわずかな睡眠不足が、まるで借金のようにじわじわと体内に蓄積されていく状態を指します。
「毎日1時間くらい寝足りないだけだから、週末にたくさん寝れば大丈夫」と軽く考えている方も多いのですが、実はこの状態が数週間も続くと、脳のパフォーマンスは「丸2日間徹夜した状態」と同レベルまで低下してしまうことが研究で明らかになっています。
さらに厄介なのは、人間は、そのような慢性的な寝不足状態に「慣れてしまう」生き物だということです。本当は脳の機能が著しく落ちているにもかかわらず、自分では万全な体調であると思い込んでしまいます。その結果、本来のパフォーマンスを発揮できないまま仕事に取り組み続け、気がついたときには心身ともに疲弊しきってしまっている、というケースが後を絶ちません。だからこそ、日々の睡眠を疎かにせず、早めに対策を打つことが重要なのです。
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夏の睡眠を守る具体策
では、この過酷な猛暑の中で質の高い睡眠を確保するためには、具体的にどうすればよいのでしょうか。
真っ先に見直していただきたいのが、エアコンの使い方です。いまだに「冷えは身体に悪い」「電気代がもったいない」と、就寝後数時間で停止するようにタイマーを設定している方が少なくありません。しかし、タイマーが切れた途端に寝室の温度と湿度は急激に上昇し、その不快感で目が覚めてしまいます。夜中の覚醒は、睡眠の連続性を断ち切り、睡眠時の疲労回復を大きく妨げます。冷えすぎるのが心配な場合は、設定温度を26℃から28℃程度に設定し、風が直接体に当たらないように風向きを上にして、朝までつけっぱなしにしておくことをお勧めします。
次に、寝具の工夫も効果的です。身体の熱をスムーズに逃がすためには、布団のなかに熱や湿気がこもらないようにすることが大切です。接触冷感素材の敷きパッドや枕カバーを活用すると、寝返りを打つたびにひんやりとして心地よく眠れます。また、麻や綿といった通気性、吸湿性の高い素材を選ぶことで、寝汗によるムレを防ぐことができます。
就寝前の過ごし方も、睡眠の質を大きく左右します。スムーズに深部体温を下げるためには、寝る90分ほど前までに、39℃から40℃くらいのぬるめのお湯にゆっくりと浸かるのが理想的です。あらかじめお風呂で上げた体温が、お風呂上がりに降下するタイミングで、自然に強い眠気が訪れます。
一方で、寝苦しいからといってアルコールに頼るのは逆効果です。寝酒は一時的に眠りにつきやすくするかもしれませんが、アルコールが分解される過程で交感神経が刺激され、結果的に眠りが浅くなってしまいます。また、寝る直前までスマートフォンなどの画面を見ていると、ブルーライトの影響で脳が「まだ昼間だ」と勘違いし、睡眠を促すホルモンであるメラトニンの分泌が抑えられてしまいます。寝る前の1時間は意識的にデジタル機器から離れ、リラックスする時間を作りましょう。
さらに、質の高い睡眠と朝の過ごし方には、密接な関係があります。朝起きたら、まずはカーテンを開けて太陽の光をたっぷりと浴びてください。これにより、私たちの体内時計がリセットされます。朝の光を浴びてから約14時間から16時間後に、再び睡眠ホルモンが分泌され始める仕組みになっているため、朝しっかりと光を浴びることが、その日の夜の自然な眠りにつながるのです。
質の高い睡眠は、最強のビジネススキル
現代を生きるビジネスパーソンにとって、睡眠は単なる「休養」ではありません。日中の仕事の成果を最大化し、心身の健康を保つための最も重要な「自己投資」であり、プロフェッショナルとしてのマネジメントの一部です。
日中のパフォーマンスが上がらない、なんとなく気分が沈む、イライラしやすいといった不調を感じているのであれば、それはあなたの能力が足りないからではなく、夏の夜の過酷な環境が原因かもしれません。エアコンの適切な活用、寝具の見直し、そして就寝前後の習慣の改善など、日常のちょっとした工夫の積み重ねが、睡眠の質を劇的に変えてくれます。
毎日の心地よい眠りを取り戻すことこそが、この厳しい猛暑を乗り越え、健やかに活躍し続けるための最強の武器となるはずです。今夜から、できることから少しずつ、ご自身の睡眠を見直してみてはいかがでしょうか。
武井 智昭
高座渋谷つばさクリニック院長
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