給料を上げる前に、少しだけ立ち止まってください
基本給を上げると、社員の手取りは増えると同時に、会社が払う社会保険料も増えます。賞与も基本給に連動して増えることが多いものです。
そして、もし今後業績が悪くなった場合でも、一度上げた給料を下げることは簡単ではありません。給料の引き下げは「不利益変更」といって、原則として社員一人ひとりの同意が必要です。雇用側が一方的に給与額を下げれば、労使トラブルのもとになります。
つまり、給料アップは「あとから戻せないコスト」になりやすいのです。
そこで考えたいのが「福利厚生」の充実です。福利厚生なら、会社の状況に合わせて柔軟に見直すことが可能です。しかも、社員の「この会社で働き続けたい」という気持ち(エンゲージメント)を高める効果も期待できます。
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小さな会社でもできる福利厚生
「福利厚生」と聞くと、大企業が高いコストをかけて設計する立派な制度を思い浮かべるかもしれません。しかし、小さな会社でもできる取り組みはたくさんあります。
たとえば、ある社員数10人弱の事務所では、福利厚生の一環として、冷凍弁当の提供を行っています。手軽かつ健康的な食事が、社員の食生活を支えています。
もうひとつは、月に1回のちょっと豪華なランチ会です。普段は各々の持ち場で働く社員たちが、おいしい食事を囲みながら語り合う。それだけで、職場の雰囲気がぐっと良くなります。
どちらも、大きなお金をかけずに始められます。そして「会社が自分たちを大事にしてくれている」という実感が、社員の定着と仕事へのモチベーションアップにつながります。このように、給料を上げる以外にも、さまざまな人材確保のための取り組みが考えられます。
「家賃補助」「社宅」は税金だけで決めない
中小企業の社長から、こんなご相談をよくいただきます。
「ある会社から、家賃補助や社宅制度の導入をすすめられた。節税になると言われたが、入れるべきだろうか」
こうした提案では、たいてい「節税になります」という税金面のメリットが強調されます。確かに、社宅制度をうまく設計すれば、税金面で有利になることもあります。
しかし、社労士として一言お伝えしたいのです。「社会保険料の話が抜けていませんか?」と。
実は、家賃補助や社宅制度は、やり方によって社会保険料(正確には「標準報酬月額」という、保険料計算のもとになる金額)への影響に大きな差が生まれます。
たとえば、家賃補助を「住宅手当」として現金で給料に加えて払うとします。この場合、手当の全額が報酬に含まれることで、社会保険料が上がるうえ、所得税もかかります。
一方、会社が借りた部屋を社員に貸し、社員から家賃の一部をもらう「借上社宅」という形にする場合、社会保険料の計算に含まれるのは、後で説明する「現物給与の価額」から社員の負担分を引いた額だけ。住宅手当よりも社会保険料を抑えられることがあるのです。
同じ「住まいの支援」でも、形式の違いによって社会保険料への影響がまるで違ってきます。税金の話だけで決めてしまうと、この差を見落としてしまうのです。
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2026年10月から社宅の社会保険料の計算が変わる
社宅の導入を考えるうえで、今知っておくべき大事な改正があります。
会社が社員に部屋を貸すと、社員は本来の家賃より安く住めることになります。この安くなった分(会社が負担している分)は、給料の一種「現物給与」とみなされ、社会保険料の計算に含まれます。この現物給与の計算方法が、2026年10月1日から変わるのです。
これまでの計算は「畳1畳あたり」を目安としていましたが、2026年10月1日からは「総面積1㎡あたり」に変わります。
東京都の場合、新旧を比べるとこうなります。
【これまで(〜2026年9月30日)】
・計算の単位:畳1畳あたり
・東京都の単価:2,830円
・対象になる広さ:居住スペースのみ(玄関・台所・トイレ・浴室・廊下は含まない)
【これから(2026年10月1日〜)】
・計算の単位:1㎡あたり
・東京都の単価:1,330円
・対象になる広さ:総面積(玄関・台所・トイレ・浴室・廊下も含む)
ここで注意です。「単価が2,830円から1,330円に下がったから、負担も減る」とは単純に言えません。
なぜなら、計算対象になるスペースが「居住スペースだけ」から「玄関や台所、お風呂まで含めた全体」へと広がるからです。「単価が下がるからラッキー」と思っていたら、総面積で計算し直すと現物給与の額がかえって上がり、会社と社員の社会保険料が増えてしまう————そんなケースも考えられます。一度、自社の社宅の総面積を計算しておきましょう。
実際に、総面積25㎡の社宅(東京都内)で、社員が月1万円の家賃を払っているケースを計算してみましょう。
1,330円 × 25㎡ = 33,250円
33,250円 - 10,000円(本人負担分)= 23,250円
この23,250円が「現物給与」として報酬に含まれ、社会保険料の計算に入ります。
※ もし社員から受け取る家賃が、この現物給与の額(33,250円)以上であれば、現物給与の加算はゼロとなり、社会保険料への影響はありません。
ここでもう一度思い出してください。もし同じ社員に「住宅手当」として現金で渡していたら、その全額が報酬に含まれます。しかし「借上社宅」を導入し、本人から家賃をもらえば、上の計算のように、社会保険料への影響は現物給与から本人負担を引いた分だけで済むのです。
さらに、もうひとつ注意点があります。今回の改正で現物給与の金額変更は、「固定的賃金の変動」にあたることになります。そのため、社員によっては「随時改定(月額変更届)」という、社会保険料を計算し直す手続きが必要になる場合があります。
「社宅を貸しているだけなのに、手続きまで必要なの?」と驚かれるかもしれません。しかし、これが社会保険の実務です。社宅を始めるとき・続けるときは、こうした影響まで含めて考える必要があります。
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自治体の支援制度が使えることも
住まいの支援を福利厚生として考えるなら、業種によっては自治体の助成制度が使えることもあります。
たとえば東京都には、介護の分野で「東京都介護職員宿舎借り上げ支援事業」という制度があります。都内の介護事業所が職員の宿舎を借りる費用を、一定の要件のもとで助成してもらえる制度です(助成の上限は1戸あたり月82,000円など、要件によって異なります)。
保育・幼児教育の分野でも、自治体によっては「幼稚園教諭等住居借上げ支援事業補助金」(自治体によって名称はバラバラ)のような制度があります。幼稚園が先生の住まいとして借りた費用の一部を補助してもらえる仕組みで、人材確保に役立てられています。
このように、業種や地域によっては、住まいの支援に使える公的な助成制度があります。福利厚生を考えるときは、自社で使える制度がないか調べてみることをおすすめします。社労士は、こうした制度のご案内もお手伝い可能です。
福利厚生は会社に合わせて「育てる」もの
最後に、もう一度お伝えします。
給料を上げることは、もちろん有効な人材確保策のひとつです。しかし、一度上げた給料は簡単には下げられません。社会保険料も賞与も、連動して増えていきます。
一方、福利厚生は会社の状況に合わせて柔軟に見直せます。業績が良いときは手厚く、状況が変われば内容を変える。冷凍弁当やランチ会のように、小さく始めて少しずつ育てることもできます。
そして福利厚生の充実は、社員の「この会社で働き続けたい」という気持ちを育みます。賃金が上がり続けるこの時代だからこそ、給料アップだけに頼らず、福利厚生という選択肢も見直してみてはいかがでしょうか。
ただし、社宅や家賃補助のように、社会保険料に影響する福利厚生もあります。導入するときは、税金と社会保険の両方から考えることを忘れないでください。「よかれと思って入れた制度が、思わぬ負担増につながった」とならないよう、専門家に相談されることをおすすめします。
安部 香織
社会保険労務士、行政書士
たいさんぼく社会保険労務士・行政書士事務所代表
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