成功者が陥る空白
退職から半年。高橋さんは毎朝、リビングの窓際に立つことが日課になっていました。眼下には都心の街並みが広がり、その先には東京タワーが見えます。窓からの景色を、ただ1時間ほど眺めるのです。
現役のころは、この眺望のなかで暮らしていることに誇りを感じていました。しかし、今は同じ景色を見ていても何も感じなくなりました。ほとんど外に出ることはありません。妻からの誘いも「今日はいい」と断ることがほとんど。運動不足も重なり、体重は半年で5キロ増加。テレビはつけているものの、内容を覚えていません。
内閣府『こども・若者の意識と生活に関する調査(令和4年度)』によると、40〜69歳で外出頻度が低い状態になった主な理由は「退職したこと」が37.3%で最も多く、その年齢は「60〜64歳」が21.8%と最多です。また、2019年公表の内閣府調査では、40〜64歳のひきこもりは全国で推計61万3,000人に上り、そのきっかけも「退職」が最多でした。高橋さんのように仕事一筋の生活を送り、定年を機に社会的役割やつながりを一瞬で失うケースは中高年ひきこもりの典型例です。現役時代の輝かしいキャリアがある人ほど、退職後に訪れる「空白」という深い虚無感に陥りやすい実態がうかがえます。
さらに決定打となったのが、SNSだったといいます。元部下たちが新規プロジェクトの写真を投稿しているのを見て、自分だけが社会から取り残されたような気持ちになり、ひどく落ち込んだそうです。
ある日、高橋さんは妻に思わず漏らしました。
「金はあっても、毎日がこんなにつまらないとは思わなかった」
妻は「贅沢な悩み」と笑いながら、「今度、一緒に出掛けよう」と誘ってきました。連れていかれたのは、親の介護経験がある妻が参加する高齢者介護ボランティア。
「いずれお互いを介護するかもしれないから今のうちに勉強して。お金があるなら社会に還元しなきゃ損よ」と妻。高橋さんは最初は戸惑ったものの、手探りで高齢者と接するなかで「ありがとう」と直接感謝される喜びを見出していったといいます。
総務省統計局『令和3年社会生活基本調査』によると、過去1年間に「ボランティア活動」を行った人の割合(行動者率)は全体で17.8%となっています。これを年齢階級別にみると、65〜69歳が23.4%と最も高く、次いで70〜74歳が23.0%、60〜64歳が21.7%となっており、定年を迎えるシニア世代で活動への参加割合が特に高い実態が示されています。
仕事一筋だった現役時代を終えた後、いかに社会との接点を維持し、新たな役割や生きがいを得ることができるか。ボランティア活動は、そのような課題を解決する有効な選択肢だといえそうです。