定年後の「第二の人生」として起業を選ぶシニアは珍しくありません。しかし、長年温めてきた夢が、老後資金そのものを揺るがすケースも多いのが現状です。退職金2,500万円を投じてカフェを開業した夫婦の事例を通して、シニア起業に潜む見落とされがちなリスクをみていきます。
「店をたためば借金だけが残る…」〈退職金2,500万円〉65歳定年夫、念願のカフェを開業したが…1年後、妻がレジ裏で見た「絶望の数字」 (※写真はイメージです/PIXTA)

65歳定年サラリーマン…「今しかない」

「会社を辞めたら自分の店を持つ。それだけを楽しみに会社員をやってきたんです」

 

そう話していたのは、元メーカー勤務の佐藤隆一さん(65歳・仮名)です。40年強務めた会社を65歳で定年退職し、退職金は約2,500万円、住宅ローンはすでに完済していました。妻の美代子さん(63歳・仮名)との2人暮らしで、老後資金としては金融資産と合わせて約3,300万円を保有。本来なら、決して不安の大きい家計ではありませんでした。

 

ところが隆一さんは退職後すぐ、駅から徒歩10分ほどの場所でカフェを開業します。若い頃から喫茶店巡りが趣味で、その“コーヒー愛”は素晴らしく、ひと口飲めば豆の産地を言い当てられるほどです。会社員をやり遂げたあと、こだわりの店を持つこと――それが人生の最終目標だったのです。

 

「一度きりの人生、悔いは残したくない」

 

物件取得費に約500万円、内装工事に700万円、厨房設備や家具に400万円を費やし、開業時点で使った資金は計約1,800万円にのぼりました。

 

美代子さんは反対でした。

 

「そんなに使ったら老後資金がなくなるじゃない」

 

しかし隆一さんは聞きません。

 

「きちんとリサーチを行った。あの辺は競合も少ない」

 

開業前に作成した事業計画では、客単価900円、1日50人来店で月商135万円。家賃18万円、人件費20万円などを差し引いても、月20万円程度の利益が残る計算でした。隆一さんは、その数字を信じて疑わなかったのです。

想定外だった現実

開業初月は好調でした。知人や近所の住民が来店し、月商は120万円近くになりました。ところが3ヵ月目から客足が落ち始めます。平日の昼過ぎになると、店内は空席ばかりという日も珍しくありませんでした。

 

近極ではチェーン系カフェがモバイル注文やサブスク型サービスを導入していました。一方で隆一さんの店は現金決済中心で、SNS運用も苦手です。「味には自信がある。宣伝なんか必要ない」 と考えていましたが、現実は違いました。

 

開業から半年後、売上は月65万円まで低下しました。それでも家賃や光熱費は変わらず、食材費の高騰も続いていました。コーヒー豆や乳製品の仕入れ価格は、前年より大きく上昇していたのです。

 

コーヒー豆の国際価格は、ブラジルやベトナムなどの主要産地における記録的な天候不順や、世界的な需要拡大を背景に、歴史的な高値圏で高止まりしています。世界銀行によると、2025年のコーヒー豆価格は2020年比でアラビカ種が2.5倍、ロブスタ種が3.2倍に高騰しており、コーヒーを主力とするカフェ経営に大きな影響を及ぼしています。

 

しかし「値上げしたら客が来なくなる」と、隆一さんは価格据え置きを続けました。赤字は毎月20万〜25万円にのぼり、不足分は預金から補填していました。美代子さんは次第に不安を募らせます。

 

「もうやめたほうがいいんじゃない?」

 

そう言うたびに夫婦喧嘩になりました。

 

「お前は夢を邪魔するのか」

隆一さんは声を荒らげます。自宅では会話が減っていきました。年金支給額は夫婦合計で月27万円、手取りで23万円ほどですが、生活費は月20万円前後です。本来なら十分に暮らしていけるはずでした。