日本政策金融公庫の調査によると、新たに起業した人の約3割が「赤字基調」に苦しむ一方、8割以上の人が「仕事のやりがい」に満足している実態があります。早期退職制度を利用し、総額約2,400万円の老後資金を手にしたケンゾウさん(仮名・58歳)も、長年の趣味だった筋トレを活かしてシニア向けパーソナルジムを開業。しかし、現役時代は事務職一筋だった彼を待っていたのは「毎月赤字」という厳しい現実。それでも悲壮感を漂わせるどころか、充実した笑顔を見せる理由とは。
「経営者としては完全失格です」〈老後資金2,400万円〉58歳独身男性、割増退職金から600万円を投じてジム起業…“毎月赤字”でも白い歯を見せて笑い続けるワケ (※写真はイメージです/PIXTA)

「経営者としては完全失格です」毎月赤字でも笑顔が絶えないワケ

しかし、いざオープンしてみると現実は甘くありませんでした。

 

事務職一筋だったケンゾウさんには、営業経験も集客のノウハウもありません。手作りのチラシ配りや見よう見まねのSNS発信ではほとんど反響がなく、近隣にある大手のフィットネスクラブや格安ジムとの競争に歯が立ちません。最初の1ヵ月こそ数名の知人が入会してくれましたが、その後は新規の問合わせがまったくといっていいほどありません。

 

「お客さんが来ないので、毎月赤字です。手元に残っている資金も少しずつ減っています。経営者としては完全に失格ですね」

 

その表情に悲壮感はなく、むしろ白い歯が光る笑顔でそう語るケンゾウさん。

 

ビジネスとしては厳しい状況だと認めつつも、現在ジムにはケンゾウさんの人柄や丁寧な指導を慕って定期的に通ってくれる常連客が数名おり、空き時間には順番待ちを気にせず自分自身も好きなだけトレーニングに打ち込める毎日は充実しているのだといいます。

 

たまに常連客からの紹介で新規の入会者が現れることもあり、「細々とでも続けていれば、少しずつお客さんは増えていくかもしれない」という希望も抱いています。もし養う家族がいれば大目玉を食らう赤字経営ですが、身軽な独り身の道楽兼ライフワークだと思えば、不思議と後悔の色は見られませんでした。

8割以上が「やりがいに満足」と答えるシニア起業の実態

ケンゾウさんのように、長年の趣味を仕事にして起業するケースは少数派であると、日本政策金融公庫の「2025年度新規開業実態調査」から読み取れます。

 

同調査によると、現在の事業に決めた理由として「趣味や特技を生かせるから」と答えた人はわずか6.9%にとどまっています。多くの人が「これまでの仕事の経験や技能を生かせるから(43.8%)」と答えていることからも、未経験の分野でゼロから集客を行うことの難しさがうかがえます。

 

実際に同調査において、33.0%が現在の採算状況は「赤字基調」であると答えており、ケンゾウさんのように毎月の固定費と赤字に苦しむケースは珍しくありません。

 

しかし、その一方で注目すべきは「起業に伴う精神的な満足度の高さ」です。開業の総合的な満足度を尋ねたところ、「満足(かなり満足+やや満足)」と答えた割合は74.8%に達しています。さらに項目別にみると、「仕事のやりがい(自分の能力の発揮)」に対しては、実に84.4%もの人が「満足」と回答していることがうかがえます。

 

ケンゾウさんは赤字を出していますが、「今のところ手元に1,500万円以上の資金が残っていること」と「家族を養うプレッシャーがない独り身であること」が、当面の心理的な防波堤となっているのでしょう。

 

ただ、58歳という年金受給前の年齢を考えると、このまま無計画に赤字を垂れ流し続ければ、いずれ資金が底をつき老後破綻に陥るリスクは避けられません。

 

ケンゾウさんがこの先も現在のライフスタイルを続けるためには、たとえば長年の事務職経験を活かしてジムの空き時間に在宅ワークで赤字分を補填したり、自分が使わない時間帯をレンタルジムとして貸し出して固定費を回収したりするなど、もう一段踏み込んだ工夫が求められるでしょう。そのうえで、「老後資金が〇〇万円を切ったら潔く畳む」という撤退ラインを設ける管理が不可欠です。

 

ビジネス(金銭的成功)という尺度だけで見れば、ケンゾウさんの挑戦は失敗かもしれません。それでも、工夫を重ねて撤退ラインさえ見誤らなければ、お金には代えがたい「やりがいと居場所」を手に入れたという意味で、シニア世代が自分らしく生きるための、ひとつのヒントになるのではないでしょうか。

 

[参考資料]

日本政策金融公庫「2025年度新規開業実態調査」