老後のお金について考えるとき、多くの人が「いくら必要か」を考えます。しかし「貯めたあとをどうするか」を、同じだけ真剣に考えている人は多くありません。資産があるほど、その問いは重くなります。
「ここに来てよかったと思える日が来るとは…」年金月20万円・資産2億円の78歳女性、渋々入居した高級老人ホームで出会った〈思わぬ縁〉 (※写真はイメージです/PIXTA)

自宅を離れ、老人ホームへ入ることへの強い拒絶感

78歳のカエさん(仮名)は老人ホームで暮らしています。1年半前に軽い脳梗塞を経験し、主治医から「一人暮らしを続けるのは難しい」と説得されて住み替えを決断しました。

 

長年大手アパレル会社の役員を務めたカエさんには、年金として月20万円の収入と、退職金・夫の遺産・長年の資産運用で積み上げた2億円の資産がありました。子どもはなく、8年前に夫を亡くして以来ずっと一人暮らしでした。

 

入居に際し、費用の問題は、まったくありません。入居した施設は入居一時金6,000万円、月額費用30万円という、いわゆる「高級老人ホーム」と呼ばれるところ。年金20万円と資産からの取り崩しで十分賄える計算です。しかし入居前のカエさんは、長年住み慣れた、夫との思い出が詰まった我が家を離れることに強い抵抗感がありました。

 

加えて、「老人ホームというのは、終わりを待つ場所だと思っていました」とカエさんはいいます。お金で買えるもの——快適な部屋、行き届いたサービス、安心な医療体制——はすべてそこにありました。しかし「ここでなにをするのか」という問いには、誰も答えてくれませんでした。

誰とも深く話さなかった半年間

入居後しばらく、カエさんは施設の中で孤立していました。食事はホールでとるものの、隣の席の人と挨拶を交わす程度。施設が催すアクティビティにも気が向かず、部屋で本を読んで過ごすことが多かったそうです。

 

「お互いに遠慮しているのか、それとも私が入り込めていなかっただけなのか」。そんな複雑な気持ちを一人で抱えていました。

 

半年ほど経ったころ、午後のデイルームで一人お茶を飲んでいたカエさんに、隣のテーブルから声を掛けられます。同じフロアに住む76歳の女性でした。元会計士で、3年前から入居しているといいます。穏やかな口調で、でも歯切れのよい話し方をする人でした。

 

しばらく他愛ない話を続けたあと、女性がふと言いました。「カエさんは、遺言書はもう作りましたか」。

 

「息子が、先に逝ってしまって」

唐突な問いに少し驚いたカエさんが「まだなんです」と答えると、女性は静かに話しはじめました。

 

女性には、一人息子がいました。夫は10年前に他界していましたが、「財産のことは息子に任せればいい」とずっと思っていたそうです。遺言書はいつでも書ける、と先延ばしに。しかしその息子が、2年前に突然病気で亡くなってしまったとのこと。

 

「息子が先に逝くとは思っていなかったから、なにも準備していなかった」と女性は言いました。息子の配偶者や孫たちとの関係は悪くないものの、自分の財産をどう整理するかについて、いまは誰に相談すればいいかもわからない状態が続いているといいます。弁護士に相談しようとは思っているが、施設から一人で出向く体力も気力も、なかなか出てこない——。

 

カエさんはしばらくなにも言えませんでした。自分と重ねたからです。法定相続人にあたる人間が誰もいないまま、2億円という資産を漠然と「いつか考えよう」と先送りにし続けてきました。夫が亡くなったときに一度弁護士に相談したものの、その後はなにもしていません。