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両親「行きたいなら行けば」…放任のなか、大学進学は自己責任
Aさんは新潟出身の23歳。会社員の父と母、祖父母、5歳下・9歳下の弟2人という7人大家族で育った長男だ。両親は教育に干渉しないタイプで、大学進学についても「行きたいなら行けばいい」というスタンス。両親自身が大学に進学していないことも影響していたのかもしれない。進学するかどうかも、どこへ行くかも、すべてAさん自身が決めることだった。
努力の末、自宅から通える地元の国立大学理系の学部に合格。入学金と1年前期の授業料は両親が負担してくれたが、弟が2人いることを考えると、これ以上親に頼ることへの後ろめたさがあった。弟たちの将来の選択肢も残してあげたい――そう思い、それ以降の学費は自分で賄うことを決める。
国立大学の年間授業料は約53万円。実家から通学していたこともあり、大学近くの飲食店のアルバイトをすることで支払うことができる金額だ。3年次の前期まではアルバイト収入だけで学費を払い続け、「自分の力でやれている」という手応えを感じていた。
3年生で所属した研究室…生活が苦しくなり、第二種奨学金の利用を決断
転機は研究室所属だった。Aさんは、大学3年の後期から研究室に所属。実験や研究活動が増えたことで、アルバイトに入れる時間が大幅に減ったのだ。授業料の支払いは目前に迫っている。
そこで、日本学生支援機構の第二種奨学金を利用した。月額8万円の貸与を、授業料の支払いに加え、数千円から一万円近くする専門書の購入や研究関連の備品、研究室に長時間いることで増える食費など、日々の生活費の一部にも充てることに。アルバイトの時間が減ったこともあり、生活費を補う役割も大きかった。
大学から特別な説明を受けることもなく、手続きはスムーズに進んだ。3年後期から卒業まで貸与を受け、総額は144万円に上った。4年後期の授業料を支払ったあと、手元に残った奨学金を返済に充てることも考えたという。しかし「いましかできない経験をしたい」と、友人との卒業旅行に使った。
「研究室に入ってバイトが難しくなっただけで、必要な分を必要なときに借りただけです」
当時、奨学金が将来の負担になることを強く意識する場面はなかった。周囲の先輩や友人も利用しており、「社会人になれば返せる」という感覚が自然と共有されていたからだ。それは楽観でも無責任でもなく、多くの学生が持つごく一般的な感覚だったのかもしれない。