目の前で親が苦しんでいたら、とっさに救急車を呼ぶ――。それは子として当然の行動に思えます。しかし、その選択が、家族に深い悔恨を残すことになる場合があります。本人が元気なうちに「延命治療はしない」と話し合っていても、いざ緊急事態に直面したとき、その約束を守り抜くことは容易ではありません。ある男性のケースをみていきます。
悔やんでいます…管だらけの84歳父が震える手で書いた「最期の言葉」。救急車を呼んだ52歳長男、一生消えない「119番」の呪縛 (※写真はイメージです/PIXTA)

「よかれと思ってしたことが、父を苦しめてしまった」

 「救急隊員の方に『呼吸が止まりそうです。挿管しますか?』と聞かれたとき、とっさに『助けてください!』と叫びました。まさか、あんな最期になるとは想像もせずに……」

 

内在住の田中浩二さん(52歳・仮名)。昨年の冬、84歳の実父・正雄さん(仮名)を病院で看取りました。正雄さんは生前、常々こう言っていたといいます。「俺は病院で死ぬのは嫌だ。何かあっても、スパゲッティみたいに管に繋がれて生き永らえさせるなよ」と。浩二さんも「わかってるよ」と軽く応じていました。

 

しかし、現実はドラマのように穏やかではありませんでした。 ある冬の深夜、同居していた正雄さんが突然、激しい呼吸困難に陥ったのです。顔面は蒼白で、喉をかきむしるように苦しんでいます。パニックになった浩二さんは、父の「病院は嫌だ」という言葉が一瞬頭をよぎったものの、震える手で「119番」を押してしまいました。

 

搬送された救急病院で、医師は告げました。「重度の誤嚥性肺炎による呼吸不全です。人工呼吸器をつけなければ、今夜が峠でしょう」。 浩二さんは、死にゆく父を目の前にして「そのままにしてください」とは言えませんでした。処置は行われ、一命は取り留めました。しかし、そこには変わり果てた父の姿があったのです。

 

口には太い人工呼吸器のチューブが挿入され、声が出せません。苦しさからチューブを抜こうとするため、両手はベッドの柵にベルトで固定されていました。いわゆる「身体拘束」です。

 

「面会に行くたび、父は目で何かを訴えていました。ある日、看護師さんに頼んで拘束を一時的に解いてもらい、ホワイトボードを渡したんです。父はミミズがはったような震える文字で、ひとことだけ書きました」

 

――もう じゅうぶん

 

「その文字を見た瞬間、涙が止まりませんでした。『家に帰りたい』でも『痛い』でもなく、ただ『もう十分』と。私は父の尊厳よりも、自分の『父を失いたくない』という思いを優先してしまった。あの時、救急車を呼ばずに家で背中をさすってやるべきだったのではないか……今でも答えが出ません」

 

その後、正雄さんは一度も家に帰ることなく、機械音に囲まれたICUで息を引き取りました。