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なぜ自分だけがこんな目に…母の認知症で一変した日常
都内在住の佐藤健二さん(仮名・55歳)は、3年前まで中堅物流会社の課長職として働いていました。独身で実家暮らし。両親との関係も良好でしたが、父親の他界を境に生活は崩壊に向かいます。残された母・良子さん(仮名・78歳)に、アルツハイマー型認知症の症状が出始めたのです。
当初は「鍋を焦がす」「同じ食材を買い込む」といった物忘れ程度でしたが、症状は急速に進行しました。深夜の徘徊で警察に保護される事態となり、健二さんの生活は一変します。
「仕事中や、会議の最中でも警察やケアマネジャーから電話がかかってくるんです。『お母様が保護されました』『デイサービスに行くのを拒否して暴れています』と。そのたびに謝罪して早退する。管理職として部下に示しがつかないし、何より精神的に休まる時間がありませんでした」
日中はヘルパーを利用していましたが、夜間や休日の介護はすべて健二さんの役割です。睡眠不足とストレスで業務に支障が出始め、職場に迷惑をかけているという自責の念に駆られた健二さんは、会社を辞める決断をします。
「退職金と貯蓄を合わせれば、当面は食いつなげると思いました。また母の年金は月14万円ほどあり、介護費用と2人の生活費くらいは賄うことができる。中途半端に仕事をするより、自分がつきっきりで面倒を見れば、母も落ち着いてくれるんじゃないか。そう考えたのです」
しかし、退職して24時間365日、母と向き合う生活が始まると、事態は好転するどころか悪化しました。もっとも健二さんを苦しめたのは「排泄」の問題でした。トイレの場所がわからなくなり、廊下やリビングで失禁をする。健二さんが片付けようとすると、認知症の影響で「何を盗もうとしているんだ!」と暴れ出すのです。
「働いているときは、仕事という逃げ場がありましたが、今はそれもない。社会との接点が完全に断たれて……本当に孤独です。毎日、排泄物の処理をして、罵声を浴びせられる。家中に染み付いたアンモニア臭のなかで、『なぜ俺だけがこんな目に……』と思ってしまう」
出口の見えない介護生活が1年続いたある日。入浴を拒否し、失禁した下着のまま抵抗する母に対し、ついに健二さんの感情が爆発しました。
「頼むから、もう施設に入ってくれよ!」
「自分で介護をする」と決めたものの、汚物にまみれた床で、限界を感じた健二さん。しかし母は、息子の悲痛な叫びを理解することなく、ただ呆然としていたといいます。
「家族だから、自分たちで何とかしなければと思っていた。親への愛があれば何とかなると思っていた。でもすべては幻想でした。今は何もわかっていない母に対して、憎しみさえ抱いてしまうときがある」