高騰し続ける都心の不動産価格。特に都心部の「タワーマンション」は億越えが当たり前となりました。かつては高嶺の花だったこれらの物件も、共働きで高収入を得るパワーカップルたちが、ペアローンという武器を使って購入に踏み切るケースが増えています。夫単独では手が届かなくとも、夫婦の年収を合算すれば、銀行から巨額の融資を引き出せるからです。しかし、このペアローンには致命的なリスクが潜んでいます。それは「離婚したくても、別れられない」という事態に陥ること。銀行にとって夫婦の不仲は関係ありません。「離婚するからローンをチャラに」などという理屈は通用せず、どちらかが家を出ても、連帯保証人としての責任は残り続けます。
「別れたくても別れられない」世帯年収2,000万円・30代夫婦…〈思い出の汚れたタワマン〉で、35年間〈仮面夫婦〉でいることを決めたワケ (※写真はイメージです/PIXTA)

「思い出の汚れた家」で結ばれた35年契約

数日後の深夜。 不動産屋からの査定書と、離婚協議書のドラフトが散らばるリビングテーブルを前に、スズカさんは深いため息をつきました。

 

(離婚して、家を売って、引っ越して、保活をして、養育費の取り決めをして……。そして、またいつか誰かを好きになって再婚? ……無理。もう、男なんてこりごり)

 

夫の裏切りで「恋愛」や「結婚」に絶望したスズカさん。また一から誰かと関係を築き、信頼し、そしてまた裏切られるかもしれないリスクを負うくらいなら、夫をATMとして割り切り、自分と子どもを守るほうがよほど合理的で安全ではないか。そう思えたのです。

 

一方のエイタさんも、疲弊していました。

 

「なんだよ。離婚届ならまだ書いてないぞ。……引っ越しの見積もりとか、ローンの手続きとか、財産分与の計算とか考えるだけで頭が痛いんだ」

 

エイタさんは投げやりにいいました「離婚って、結婚の何倍もエネルギーがいるっていうだろ? 仕事も忙しいのに、これ以上プライベートで揉めるのは正直、面倒くさい。君がこのままここに住みたいなら、俺はそれでもいい」。

 

2人の利害は、最もネガティブな形で一致しました。

「感情」を排除した、完全なる業務提携

こうして2人は、「あえて離婚しない」という選択をしました。交わした約束は、以前のような「夫婦の誓い」ではなく、シェアハウスの「利用規約」に近いものです。

 

現状維持:法的な離婚はせず、世帯年収とマンションを維持する。

不干渉:互いのスケジュール、交友関係、異性関係には一切口を出さない。

省エネ運営:喧嘩はコストの無駄。会話は事務連絡のみとし、感情をぶつけ合わない。

 

「愛し合っていない夫婦が一緒に住むなんて不健全だと思っていました。でも、『お互いになにも期待しない』という関係は、皮肉なことにすごく楽なんです」スズカさんは淡々と語ります。 妬も、怒りも、悲しみもない。あるのは、快適な住環境と同居人としての距離感だけ。

 

エイタさんもまた、満足しているようです。「家に帰っても文句をいわれないし、離婚して狭いアパートに行く必要もない。正直、結婚当初よりいまのほうがストレスがないですね」

35年続く「凪」

現在、2人は都心の夜景を見下ろすタワマンで、驚くほど静かな生活を送っています。 そこには愛もありませんが、争いもありません。恋愛の末に結ばれたパワーカップルが辿り着いたのは、「無関心」という名の平和でした。現状、35年のペアローン完済まで、この仮面夫婦生活を続ける予定です。

 

「再婚する気力もないし、一人になる勇気もない。だから、このぬるま湯に居続けるんです」

ペアローンの落とし穴

ペアローンは、夫婦の信頼関係が盤石であることを前提とした、いわば「人生の一点張り」です。うまくいけば資産形成の強力な武器になりますが、一度亀裂が入れば、その拘束力は凄まじいものになります。

 

エイタさんとスズカさんの事例は、「世帯年収」という数字だけを頼りにした生活設計の脆さを浮き彫りにしました。二人は経済的な破綻こそ免れましたが、「心の自由」という代償を払い続ける道を選びました。

 

「愛」よりも「生活レベル」を守るために、冷めきった関係を維持し続ける――。それはある意味で合理的ですが、同時に現代社会が生んだ新たな地獄の形なのかもしれません。これからペアローンを組む方は、「もし別れることになったら」という出口戦略を、契約書のハンコを押す前に冷静にシミュレーションすることをお勧めします。