(※写真はイメージです/PIXTA)
離職から3ヶ月後、就職活動を開始
当時を振り返ってこう話す高蔵さんだが、当時は金銭面の心許なさと「このまま家にいては、社会に復帰できなくなるのではないか」という不安から精神的に疲弊し、離職から3ヶ月後に就職活動を開始した。
1.家から近い職場
2.残業があまりない職場
3.ある程度休みの融通がきく職場
4.肉体労働ではない職場
5.給与はひとまず生活する最低限でよい
という5点を考えた結果、初めて派遣という働き方に挑戦することにした。
融通が利く派遣先、母の体調も徐々に回復…
派遣で働き始めた高蔵さんは、「自分に合っている」と感じた。
母親の介護をしていることをダメもとで話したところ、母親のデイサービスのない日は半日リモートワークにさせてもらったり、母親の通院で半休もいらないという時は、2回で半日の有給を使用させてもらうなど、融通のきく職場と出会うことができた。
母親は胃がんの手術後、2年ほどは気管が狭まる症状が出て、食べても喉に詰まり、戻してしまうことが続いたが、バルーン拡張術を4〜5回受け、徐々に食べられるようになっていった。
定期健診で「バセドウ病」が発覚…再び入院することに
ところが、胃がんの手術から2年後のこと。定期検診で医師から「瞼が腫れて下がっているのが気になる」と言われて検査したところ、「バセドウ病」であることがわかる。
さらに母親は、「バセドウ病」の治療を始めた後、顔が浮腫んだり、ちょっと歩くと「しんどい」というようになった。そのことを主治医に相談すると、「心臓が正常に機能していない」ということが判明。脈が異常に少ないため、その日のうちにペースメーカーを入れる手術を受け、入院する。
「またそれからが大変でした。ペースメーカーが固定されるまで、3ヶ月ほどは左腕を肩から上に上げることは避けたい行為なのですが、手術をしたことが理解できない母は、とにかくバンドは外すし、勝手に帰ろうとするのです」
1日目は、軽い麻酔を打って眠ってもらった。2日目は、高蔵さんが夕飯まで一緒にいて、落ち着いていたので大丈夫かと思われたが、看護師の言葉を勘違いし、「出てけと言われた!」と突然怒り出したため、「病院に泊まってお母さんの世話をしてほしい」と病院から頼まれた。
「入院と手術は、本人が全く理解できないので、認知症患者には本当に厳しいんです。そして、看護師さんも人それぞれで、まだ若い看護師さんや男性の看護師さんは対応に慣れておらず、ちょっとした言葉遣いなどで認知症の母のスイッチが入り、妄想が広がってとんでもないドラマが母の脳内で展開されるんですよね。今回は、入院費が払えないので私が母に無断で自宅を売り払い、『そんな状態で、ここ(病院とは理解していない)から出てけと言われたらどうしたらいいんだ!』という展開で怒っていました」
