親の介護は、ある日突然、そして容赦なく始まる。それは、一つの問題が解決したかと思えば、また次の問題が降りかかる、終わりの見えない闘いの始まりかもしれない――。近畿地方在住の高蔵小鳥さん(仮名・42歳)は、両親の離婚や自身の転職を経て、実家に戻り、憧れだったアパレル系の会社で人事として働いている。家事は母に任せきりで、悠々自適な暮らしのはずだったが……。旦木瑞穂氏の著書『しなくていい介護 「引き算」と「手抜き」で乗り切る』(朝日新聞出版)より、高蔵さんのリアルな体験談から、私たちが目を背けてはならない現実を浮き彫りにする。
78歳母は、認知症とがん。父との離婚で年金わずか…無断で「実家」を売り払う派遣社員の42歳一人娘に、母が放った「衝撃のひと言」 (※写真はイメージです/PIXTA)

娘は病院から通勤するハメに

手術から7日ほど経った深夜のこと。仕事から帰宅したばかりの高蔵さんに病院から電話がかかってきた。

 

「家に帰ろうとするお母様を止められないので、病院に来てもらえませんか?」

 

当時はコロナが始まったばかり。病室に入る面会は断られていたが、夜勤は人数が限られている上、認知症の患者が重なると手が足りなくなる。そのため、病院は家族に助けを求めるより他なかったようだ。

 

それからというもの、高蔵さんは母親の病室に帰り、病室から通勤する日々を送る。しかし担架のような簡易ベッドで寝る生活に耐えきれなくなり、5日ほど経った後からは、夜、母親が眠りにつくまで病室にいて、朝、母親が朝食を食べる時間に病室に行き、一緒に朝食を摂ってから出勤した。

「仕事」と「介護」で板挟みに…悩んだ結果、離職を選択

胃を半分ほど切除した母親は、徐々に通常の食事に戻していくが、その過程でなかなか胃がうまく働かず、食べてもすぐに戻してしまい、約2ヶ月の入院の間に10キロほど痩せてしまった。それでも退院の日を迎えると、高蔵さんはあらかじめ契約しておいた訪問看護を週3回利用し、それ以外の日はデイサービスを入れて母親のケアに努めた。

 

しかし母親が認知症と診断されてからというもの、高蔵さんは長い間、頭を悩ませていた。

 

「ずっとやってみたかった企業の人事の仕事についた矢先に、母の認知症と胃がんが判明。認知症の母は、自分ががんだと告知されても理解できず、健康な人と同じ行動をしようとするのが厄介でした。私の仕事は出張が多く、まだコロナが始まったばかりだったため、リモートワークに対応していません。介護休業や介護休暇などのことはある程度知っていましたが、まだ就職して数ヶ月でしたし、会社の人事担当者が私しかいなかったので、とても休みたいと言い出せる状況ではありませんでした」

 

勤務中も出張中も母親のことを思い出すと不安に襲われることがしばしば。通勤途中に満員電車に乗れば、母親に感染症を持ち帰ってしまうのではないかという心配にも苛まれる。

 

「40代に入っていた私は、今辞めてしまったら、次の職がすぐ見つかる可能性が低いのではないかという不安もありました。しかし同時に、母が私の支援とケアを必要としていることを理解していましたし、一人っ子である私は、それに応えることが優先事項であるという確信も持っていました」

 

2020年6月。筆者は離職以外の方法を選択して欲しかったが、高蔵さんは離職という決断を最終的に下した。