親の介護は、ある日突然、そして容赦なく始まる。それは、一つの問題が解決したかと思えば、また次の問題が降りかかる、終わりの見えない闘いの始まりかもしれない――。近畿地方在住の高蔵小鳥さん(仮名・42歳)は、両親の離婚や自身の転職を経て、実家に戻り、憧れだったアパレル系の会社で人事として働いている。家事は母に任せきりで、悠々自適な暮らしのはずだったが……。旦木瑞穂氏の著書『しなくていい介護 「引き算」と「手抜き」で乗り切る』(朝日新聞出版)より、高蔵さんのリアルな体験談から、私たちが目を背けてはならない現実を浮き彫りにする。
78歳母は、認知症とがん。父との離婚で年金わずか…無断で「実家」を売り払う派遣社員の42歳一人娘に、母が放った「衝撃のひと言」 (※写真はイメージです/PIXTA)

自分のお金・時間を犠牲に介護しても、認識すらされないやるせない日々

離職した高蔵さんは、まずは母親の認知症を理解することに努めた。

 

「私は、元気だった頃の母との対話を取り戻すことを願っていましたが、現実は違いました。離職後、介護の日々はますます厳しくなり、私は母の日常的なケアに全力を尽くしましたが、それでも限界を感じることがありました。そして認知症の進行とともに、母はどんどん他人に依存するようになっていきました」

 

同じことを何度も聞かれることにうんざりすることは頻繁にあった。うんざりした様子を察したのか、母親は「子どもなんだから親の介護をするのは当たりまえ!」と口にすることもあった。

 

その一方で、まだ自分でトイレも食事も入浴もできている母親だったが、食べる順番や服を脱ぎ着する順番などを近くで教えないとできないにもかかわらず、何もかもすぐに忘れてしまう母親は、「全部1人でできている!」と豪語していた。自分のお金や時間を犠牲にして介護している高蔵さんにとって、してあげていることを認識されないことや感謝もされないことは、やるせないことだった。

 

「離職と介護の両立は、経済的な負担も伴います。仕事を離れることで収入が減少し、生活費や医療費などの負担割合が増大しました。この状況は私にとって大きなストレスであり、不安と絶望感に苛まれる日々が続きました。しかしこの難しい状況の中で、私は多くのことを学ぶことができました。これまで私が母に任せっきりで、全くしてこなかった家の財政管理について、状況を把握することができたこともその一つです」

 

離婚後は無職、収入源は国民年金のみ…母の財政事情

父親との離婚後、母親は全く働いておらず、わずかな貯金だけで生活していた。高蔵さんが実家に戻ってきてからは、高蔵さんが入れてくれるお金と貯金で生活しており、60歳からは国民年金が受給されていた。

 

「母には国民年金しかなく、まだ老後が続くと考えると、私がお金を入れなければ、生活できない貯金額しかありませんでした。それを知った私は、国の制度や地域の支援ネットワークの重要性を学びました。そして、介護者としての役割を果たすことの尊さと責任を痛感。働いていた時は出張も多く、母と向き合う時間をあまり持ってこなかったのも事実です。介護離職は決して容易な決断ではありませんでしたが、その結果、私は母との貴重な時間を共有することができました。認知症が進行する母との時間があまり残されていないことを強く意識するたびに、離職して良かったのだと思います」