大切な家族のために……。そう思って、献身的な介護を続ける。高齢化が進むなか、今後、多くの家庭でみられるようになるだろう光景です。しかし、その思いが一方通行になってしまうことも。ある母娘のケースをみていきましょう。
私をバカにしないで!認知症の85歳母、「献身的な娘」に限界。夜21時、泣きながら家を飛び出した「悲しすぎるワケ」 (※写真はイメージです/PIXTA)

認知症の母と、管理を強める娘

「あの夜まで、私は母を支配することが『正しい介護』だと信じて疑いませんでした。すべては母の安全のため。そう自分に言い聞かせることで、母の心を殺していることに気づかなかったのです」

 

都内で暮らす田中恵子さん(54歳・仮名)。彼女は3年前から、認知症を患う母・聡子さん(85歳・仮名)の在宅介護を続けています。献身的な介護の裏で、恵子さんは知らず知らずのうちに母の尊厳を深く傷つけていたといいます。

 

恵子さんの介護は、聡子さんの安全を守ることに重点が置かれていました。かかりつけ医からアルツハイマー型認知症に伴う「徘徊のリスク」を指摘されて以来、その思いは一層強くなりました。実際、聡子さんが鍋を火にかけたまま忘れ、危うく火事になりかけたこともありました。買い物に出かけたはずが、全く違う方向へ歩いて行ってしまい、警察に保護されたことも一度や二度ではありません。

 

「最初は、近所のスーパーに行くだけでも付き添う程度でした。でも、そうした出来事が重なるにつれて私の不安はどんどん大きくなっていったんです。火の不始末が怖いからとガスコンロの使用を禁じ、お金の管理ができないからとお財布も取り上げました。そして、GPS機能付きのキーホルダーを常に持たせ、一人での外出は固く禁じたのです」

 

聡子さんのため、良かれと思っての行動でした。しかし、行動を制限されるようになった聡子さんは、日に日に口数が減り、好きだったテレビドラマにも興味を示さなくなっていきました。覇気のない母の姿を見るたびに、恵子さんは「私がしっかりしないと」と、さらに管理を強めるという悪循環に陥っていきました。「お母さんのためだから」。恵子さんがそう繰り返すたび、聡子さんは何も言わず、ただうつむくだけでした。

 

それは些細なことがきっかけでした。夜21時をまわったとき、聡子さんが戸棚から好物のお饅頭を取り出したのです。血糖値を気にする恵子さんは、それを見るなり強い口調で言いました。

 

「お母さん、それはダメでしょ! 体に悪いっていつも言ってるじゃない」

 

そう言って、お饅頭を聡子さんの手から取り上げた瞬間でした。それまで感情を表に出さなかった聡子さんの目から、大粒の涙がこぼれ落ちたのです。

 

「もう……もう、うんざり! 私をバカにしないで! あなたはいつもそうやって、私から楽しみを全部奪っていく。最後くらい、自由にさせてよ!」

 

叫び声とともに、聡子さんは玄関を飛び出していきました。パジャマ姿のまま、夜の闇に消えていく母の小さな背中を、恵子さんは呆然と見送ることしかできませんでした。