(※写真はイメージです/PIXTA)
何かに夢中になれる老後を思い描いていたが…
斎藤健一さん(72歳・仮名)。神奈川県内の閑静な住宅街の戸建てで妻と二人、穏やかに暮らしています。現役時代、大手メーカーの管理職として奔走し、現在の年金受給額は月18万円。夫婦合わせると月30万円弱になり、贅沢はできませんが生活に困ることもありません。独立した長男と長女もそれぞれ家庭を築き、盆暮れには家族が集まる「絵に描いたような幸せな老後」の中にいます。しかし、斎藤さんの日常は、思い描いたようなものではなかったといいます。
「現役時代は仕事に忙殺されてきたので、定年後は好きなことに時間を費やす、そんな生活を漠然と思い浮かべていました。ただ、私には昔から趣味らしい趣味がなくて……。定年後、妻に誘われて社交ダンスを始めたり、地域のボランティアに参加したりと、何とか生きがいを作ろうと頑張っていました。しかし、どこに行っても『次はこれを目指しましょう』『もっと貢献しましょう』という目標がついて回る。仕事と同じで、どこか成果を求められているようで、窮屈さを感じていました」
何に対しても夢中になれない――。どこか焦りのようなものを感じて過ごしていた斎藤さんの転機は2年前、肺炎で2週間ほど入院したことでした。大事に至ることはありませんでしたが、ぼんやりと「死」を意識したそうです。
そして、この入院生活を通して心境に変化が生まれました。
「それまでは、何もしないことは『悪』だと思っていました。でも、病室の天井を見つめているだけの時間の中で、何もしていなくても『幸せだな』と思ったんです」
退院後、斎藤さんは一切の習い事と地域の役員仕事を辞めました。夢中になれないことを、無理やり続けることはないと考えたのです。現在の生活は極めてシンプルだといいます。
朝は6時に起床しますが、すぐに動き出すことはありません。布団の中で30分ほど、体が目覚める感覚を味わいます。
妻とゆっくり朝食を済ませたあとは、庭に面したソファに座りながら、1時間ほどかけてコーヒーを楽しみます。
午後は近所の川沿いを歩きますが、疲れたら途中のベンチで30分でも1時間でも、川面を見つめるのだそうです。
夕飯の支度を手伝う以外は、カレンダーも時計も見ません。
そんな“何もしない生活”の中でも、「毎日が発見でいっぱいだ」と斎藤さんは語ります。
「昨日より花のつぼみが大きくなったとか、変わった形をした雲が流れていったとか……。今は、そんな些細なことでも気づいて感動できるんです」
妻や子供たちは当初、斎藤さんの無気力さを心配しましたが、今の彼の穏やかな表情を見て、何も言わなくなりました。
「『生きがいを持たなきゃ』とプレッシャーさえ感じていたときと比べて、軽やかに生きています。今後の目標? 自然とできたなら、それを目指せばいい。ないならないで構わない。とにかく無理に何かをしない。老後だから叶えられる贅沢だと思いませんか?」