長年の会社員生活を終え、手にした退職金。それを元手に、第二の人生で長年の夢を追いかけるシニアは少なくありません。しかし、その挑戦が順風満帆とはいかないのも現実で、失敗に終わるケースも珍しくありません。とはいえ、失敗を失敗で終わらせるかどうかはその人次第。ある男性のケースを見ていきましょう。
退職金は夢のために使うのさ…60歳定年男性「2年で2,000万円」消滅も、「今が一番幸せだ」と笑顔のワケ (※写真はイメージです/PIXTA)

失敗から学んだ「身の丈」での再挑戦

絶望の淵に立たされていた中田さんを救ったのは、家族と、わずかな常連客の声でした。

「閉店を知らせたとき、『あの美味しい蕎麦がもう食べられないなんて残念だ』『無理のない範囲で続けてくれたら嬉しいのに』と、何人ものお客さんが声をかけてくれたんです。妻からも『お父さんの夢は、本当は何だったの?』と言われて、ハッとしました」

自分は一体、何がしたかったのか。自問自答を繰り返す中で、中田さんは本当にやりたかったことの本質に気づきました。それは、店を構えることではなく、「自分の打った蕎麦を、美味しいと喜んでくれる人の顔を見ること」でした。

実は、中田さんのような退職後の起業における資金計画の課題は、決して珍しいケースではありません。日本政策金融公庫『2023年度新規開業実態調査』によると、開業時の年齢が60歳以上の割合は14.0%。開業直前の勤務先からの離職理由としては「自らの意思による退職」が最も多く88.7%。「定年退職」は1.5%でした。また開業費用の平均値は1,027万円、中央値は550万円であり、長期的にみると少額化の傾向にあるそうです。

しかし、開業後に多くの事業者が直面する課題として「資金繰り・資金調達」が常に上位に挙げられます。初期投資に資金を使いすぎ、いざというときの運転資金が枯渇してしまうのは、起業失敗の典型的なパターンなのです。中小企業庁の「中小企業白書」でも、廃業の理由として最も多いのは「販売不振」であり、売上予測の甘さが事業継続の大きな壁となっていることがうかがえます。中田さんの挑戦も、まさにこの典型的な失敗例だったのです。

しかし、中田さんは失敗から再起。自宅のガレージを改装した小さな工房で、週末限定の蕎麦屋をスタートさせました。席数はわずか4席。メニューも絞り、完全に予約制です。収入は会社員時代や最初の開業時とは比べものになりませんが、その表情は驚くほど穏やかです。

これは当初の事業計画がうまくいかないと判断した際に、事業の方向性やビジネスモデルを転換する、ビジネスの世界でまさに「ピボット」と呼ばれるものです。中田さんは、不特定多数の集客を目指す「大きな店舗経営」から、顧客との関係性を重視する「小規模な週末限定営業」へと、事業の軸足を大きく転換したのです。

「大きな失敗をしましたが、今は自分のできる範囲で、本当にやりたいことができていますし、何よりも家族も応援してくれている。お客さんの顔を見ながら蕎麦を打ち、世間話に花を咲かせる――これがやりたかったんです、私は」

失敗から学び、事業の形を柔軟に変えながら、自分にとっての「やりがい」や「心の充足」を見つけ出す――中田さんの身の丈での再挑戦は、シニア起業におけるひとつの理想的な成功例といえそうです。

[参考資料]

日本政策金融公庫『2023年度新規開業実態調査』