(※写真はイメージです/PIXTA)
高齢化の現実が突きつけた「理想の終焉」
もう1つの大きな負担が自治会でした。移住当初は地域コミュニティの核として機能していた自治会も、20年の月日のなかで深刻な高齢化に見舞われていました。
「若い世代はどんどん都会に出て行って、残っているのは私たちを含めた高齢者ばかり。必然的に、役員の順番はすぐに回ってきますし、道路の草刈りや側溝の掃除といった共同作業も、体力的に年々つらくなっていました」
恵子さんは、当時の苦労をそう振り返ります。地域のインフラを維持するための活動がツラくなっていく。助け合いの精神も担い手がいなければただの負担でしかありませんでした。
そんなある日、結婚式のため、東京の親戚の家に数日滞在する機会がありました。
「懐かしい感覚でしたね。駅の改札を出たら目の前がスーパーがあって、雨に濡れることなく買い物ができる。内科も歯医者も、歩いて5分の距離に揃っている。電車に乗れば、乗り換えなしで大きな病院にも行ける。とにかく、その便利さが懐かしくて、ここなら『クルマがなくても快適に暮らせるんだな』と」
長野の家に戻ると、さらに東京での暮らしが懐かしく感じるようになりました。家の玄関からスーパーの入り口まで、ドアツードアで30分近くかかっていた現実。次の通院日を気にしながら、運転できる体調かどうかを心配する毎日。そのすべてが、いかに不便で、ストレスフルなものであったかを痛感させられたのです。
厚生労働省『2022(令和4年)国民生活基礎調査』によると、65~74歳の通院者率(人口千人当たりの通院者数)は男性で568.6、女性で556.2にのぼります。これが75歳以上になると、男性705.4、女性690.0へとさらに上昇する。年齢を重ねるほど、医療機関との距離は、生活の質を大きく左右するといえるでしょう。
「これからの人生、あと何年あるかわかりませんが、通院のたびに運転の心配をしたり、自治会の役回りに頭を悩ませたりするのはもう無理かな、と思ったんです」
夫婦の意見は一致。25年暮らした家と土地を売却し、東京へ戻ることを決意。将来を見据えて、サ高住への入居を決めました。
「田舎での暮らしは、それはそれは素晴らしい時間でした。でも年を取って、体も以前のように動かなくなっていくなかでは、都会のほうが快適です。人生、最後の楽園は、皮肉にも東京だったんですよね」
そう言って、穏やかに笑う田中さん夫婦。もうクルマのハンドルを握る必要も、草刈り機のエンジンをかける必要もありません。便利な環境のなか、穏やかな日々が過ぎていきます。
[参考資料]
厚生労働省『2022(令和4年)国民生活基礎調査』