(※写真はイメージです/PIXTA)
「国民年金は、最後にいつ払ったか覚えていません」
「僕がこれまでに失った分は、一度の成功で取り返せるから」
そう語る勝久さん(51歳)の傍らで、長年の交際相手である聡子さん(50歳)は、静かにため息をつきました。
勝久さんは、国立大学を卒業後、メガバンクへ入社。誰もが羨むエリート街道を歩みはじめました。しかし、彼の心は満たされませんでした。「何者かになりたい」「大きな成功を収めて有名になりたい」そんな漠然とした、しかし強烈な願望が、彼を焦燥感に駆り立てていたのです。
銀行の仕事は「退屈な作業」にしか思えず、「起業します」と宣言し、わずか3年で退職。「収入は完全歩合制、上限はない」という言葉が、彼の心を鷲掴みに。当時、雑誌などで華やかに紹介されていた外資系の生命保険営業の世界へと飛び込みます。
しかし、現実は甘くありません。エリート特有のプライドが邪魔をし、地道な人脈作りに馴染めず、成績は低迷。経費ばかりがかさみ、家賃も滞納、消費者金融に手を出すようになります。結局、3年で退職勧告を受け、手元に残ったのは500万円の借金だけでした。
その後も彼は、「一発逆転」を夢見て、職を転々とします。ネットワークビジネス、情報商材、暗号資産……。しかし、なに一つとして上手くはいきませんでした。気づけば52歳。借金返済のため、手取り月10万円ちょっとでフードデリバリーをしながら、その日暮らしを続ける惨状。国民年金は、最後にいつ払ったか覚えていないといいます。
「もうこれ以上は支えられない」
聡子さんは、そんな勝久さんを年収400万円の派遣社員として働きながら、長年支え続けてきました。しかし、彼女が50歳の誕生日を迎えた日、ついにその堪忍袋の緒が切れます。
「勝久さん、私、もう50歳なの。あなたの夢を支え続けることは、もうできない」
聡子さんは、ケーキの一つもないテーブルの上に、二人の現状を示す書類を並べました。勝久さんの借金の督促状、滞納している国民健康保険料の通知、そして聡子さん自身の預金通帳。勝久さんの生活費として毎月20万円、ときにはそれよりもっと多くの額を補填し続けた結果、残高はほとんど残っていません。
勝久さんはいつものように反論します。
「いま、大きなビジネスチャンスを掴みかけているんだ。これが成功すれば、君を一生楽させてあげられる」
その言葉に、聡子さんは静かに首を横に振りました。
「その言葉を、もう10年以上聞いているわ。私たちに必要なのは、夢物語じゃない。二人で生きていくための、現実的な生活よ。このままなら、もう一緒にはいられない」