子の将来を願い、教育に全力を注ぐ親は少なくありません。しかし「安定」と「幸せ」の価値観は、世代によって大きく変化。いまや正社員という道だけが人生の正解ではないなか、多様な選択肢は時に家族の軋轢やすれ違いを生み出す要因にもなるようです。
〈月収54万円〉52歳サラリーマン、東京の大学に通うひとり息子の一大決心に絶句。家族崩壊のカウントダウンに「何かの間違いでは?」 (※写真はイメージです/PIXTA)

ひとり息子「就職はしない」の一言

ある日の夕食時、悠さんから電話がかかってきました。他愛もない会話のあと、悠さんが切り出した言葉に、斎藤さんは箸を取り落としそうになりました。

 

「あのさ、俺、就職しないから。動画クリエイターになることにしたんだ」

 

一瞬、何を言われたのか理解できず。頭の中が真っ白になり、言葉を失いました。

 

(動画クリエイター? いわゆるユーチューバーか? 冗談だろ……)

 

悠さんは続けました。

 

「もうユーチューブで毎月1万円、2万円くらいは稼いでるんだ。本腰入れたら、絶対大丈夫でしょ。軌道に乗るまでは助けてもらうかもしれないけど」

 

「よろしくね」の一言に、斎藤さんは絶句しました。あまりにも安易な言葉に、呆気に取られてしまったのです。これまで大切に育ててきた息子が、まさかこんな決断をするとは夢にも思っていませんでした。

 

その日の夜、斎藤さん夫婦は大喧嘩。

 

「お前が甘やかすからだ」

「あなただって、あんなに仕送りするから。バイトでもさせてお金を稼ぐことと大変さを理解させたほうがよかったのよ」

「そんなことは意味がない。それに今まで悠の何を見てきたんだ」

「そうやっていつも私に押し付けて、何か気に食わないことがあるとすぐに私のせいにする」

 

これまで互いに胸に秘めていた不満を吐き出し、何とも言えない重い空気が二人を包み込んでいました。悠さんの「一大決心」を発端として、家族崩壊に向けてのカウントダウンが始まったのです。

 

今、大学新卒に関していえば、完全な売り手市場。新卒の給与はぐんと上がり、30万円超えの企業も。そんななか就職活動さえしていれば、ある程度、安定した道は約束されたようなもの。

 

なぜ息子は、あえて茨の道を選ぼうとするのか――

 

斎藤さんは理解に苦しみました。今は順調にいっているように見えますが、動画クリエイターとして成功する保証などどこにもありません。ユーチューバーは一時期、子どもの憧れの職業でしたが、以前よりも稼げないとニュースで読んだこともありました。そんな不安定な道を息子は進もうとしているのか……。

 

ある日、悠さんは電話口で父親に向かい、なぜ動画クリエイターの道に進もうと思ったのかを熱弁しました。

 

「今の時代は個人で稼ぐ力が必要なんだよ。会社にぶら下がっているだけじゃダメなんだ」

 

終身雇用、年功序列――日本の古い慣習は崩壊し、確かに、会社員であっても安心できるわけではありません。悠さんの主張には何も言い返すことができませんでした。

 

ランサーズ株式会社『フリーランス実態調査2024』によると、フリーランス市場は10年間で約40%成長を果たし、フリーランス人口は1,303万人に達します。しかし収入面では年収99万円以下が7割で、「収入に満足している」と回答する人はわずか32%に過ぎません。親が心配するのも無理はないでしょう。

 

一方で厚生労働省『毎月勤労統計調査』によると、今年5月分の速報値、実質賃金は5カ月連続マイナス。前回プラスに転じたときは賞与時期だったので、毎月の給与に限っていえば、この2~3年は「給与上昇<物価上昇」の状態が続き、会社員も苦しい立場にあります。

 

多様な働き方という考え方が浸透しつつあるなか、それでも斎藤さんは「大学まで通わせたのに」「もし失敗したらどうするんだ」などという思いばかりがよぎります。

 

家族の関係は、以前のように円満ではありません。夫婦間の会話はぎこちなくなり、悠さんの話題になると、すぐに口論になってしまいます。息子を信じて応援するべきなのか、それとも説得して安定した道に進ませるべきなのか――結論には至っていないといいます。

 

[参考資料]

文部科学省『令和7年3月大学等卒業者の就職状況』

ランサーズ株式会社『フリーランス実態調査2024』

厚生労働省『毎月勤労統計調査』