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「お義母さん、帰ろうか」…覚悟を決めた日
都内の事務職として働く田中美智子さん(55歳・仮名)が、同居する義母・和子さん(86歳・仮名)を自宅で看取ると決めたのは、和子さんの体に末期のがんが見つかったときのことでした。
実は、2人の関係は最初から良好だったわけではありません。美智子さんが嫁いだ当初、和子さんは家事に厳しく、何度も涙を流したときもあったといいます。しかし、美智子さんが仕事と育児の両立に悩んでいた時期、黙って食事を作り、子どもたちの面倒をみてくれたのは他ならぬ和子さんでした。
「お義母さんは、言葉はきついけれど、誰よりも私の頑張りを見ていてくれました。『私たちの時代は、女性が外で働きたいなんて言ったら非難の嵐だった。今は女性も働ける時代なんだから頑張りなさい』と。良好……とは言い難い関係だったかもしれないけれど、私はお義母さんに対して感謝でいっぱいでした。そんなお義母さんが入院先で『最期は自分の家がいい』と小さく呟いたとき、もう迷いはありませんでした。今度は私が、お義母さんのワガママを全部聞いてあげようって決めたんです」
病院からは「家で急変したらどうするんですか」「痛みが出たら素人には扱えない」などと告げられたという美智子さん。「正直、反対を押し切る形になったのは怖かった」と語り、退院にこぎつけるまでは、まさに「戦い」だったと振り返ります。
病院のソーシャルワーカーと膝を突き合わせ、在宅での緩和ケアが可能な医師を探し、訪問看護ステーションとの契約を急ぎました。自宅に介護用ベッドが運び込まれ、酸素濃縮器が設置されたとき、美智子さんは「もう後戻りはできない」と身が引き締まる思いだったそうです。
24時間体制の看取りが始まると、これまで通りに働くことも難しくなります。それまで美智子さんの月収は約45万円ほどでしたが、時短勤務を選択したことで月収は25万円ほどになりました。それでも和子さんの希望を叶えるために、給与減は気にならなかったといいます。
「看取りというよりも、最後のお返しのような時間でした」
美智子さんはそう振り返ります。しかし、現実は甘くありません。がん特有の痛みや倦怠感から、和子さんが「もう殺して」と弱音を吐くこともありました。夜中に何度も痛み止めの対応をし、寝不足のまま出勤する日々が続き、精神的な限界は何度も訪れました。
しかし、そんな限界など吹き飛ぶ出来事があったそうです。それは和子さんが亡くなる1週間前のことでした。意識が混濁するなか、和子さんは美智子さんの手を強く握り、「美智子さん、私の娘になってくれてありがとう。幸せだった」とはっきり告げたのです。
「その瞬間、これまでの苦労も、かつての確執も、すべてが報われた気がしました。看取りまでの時間は壮絶でしたが、私の人生で最も濃密でかけがえのないものになっています」