(※写真はイメージです/PIXTA)
退職金という「まとまったお金」が引き起こす落とし穴
「何を馬鹿なことを……」
唖然とする恵子さんを前に、明夫さんはどこか誇らしげです。
「年金生活になると収入が減ってしまう。不動産投資であれば、毎月まとまった家賃が入ってくるのは安心じゃないか。年金の足しになるし、俺たちに何かあっても子どもたちに資産として残してあげられる。資産運用としても有効だと思うんだ」
明夫さんの主張は、一見すると理にかなっているように聞こえるかもしれません。しかし、恵子さんの不安は募るばかり。騒動の発端となった「老後の収入減」。それは日本の高齢者の多くが抱える悩みです。株式会社Japan Asset Managementが行った『「退職金に関する意識調査」』によると、退職金の運用を意識したきっかけとして、最も多くの声が挙がったのが「「退職後の収入が減少することへの懸念から」」(72.9%)。「インフレによる、現金価値の目減りと生活コスト増懸念のため」(51.4%)が続きました。仕事を引退することで収入が大幅に減ってしまうことに加えて、昨今のインフレが、定年以降に資産運用を考えるきっかけになっています。
明夫さんの場合、老後不安の解決策として選んだのが「不動産投資」でした。特に「家賃収入で年金の足しに」「安定した資産」といった甘い言葉は、老後の不安を抱える層にとって魅力的に響くようです。しかし、その裏に潜むリスクを正しく理解しないまま飛びついてしまうと、穏やかな老後が破綻へと転落する危険性もあります。
最も大きなリスクといえるのが「空室・家賃下落のリスク」。入居者がいなければ家賃収入はゼロになり、明夫さんは現金購入ですが、ローンの返済や管理費だけが出ていく状況に。また、建物の老朽化や周辺環境の変化で、家賃を下げざるを得ない状況も起こり得ます。
また固定資産税や都市計画税はもちろん、共用部分の管理費や修繕積立金、入居者が入れ替わる際の原状回復費用や仲介手数料など、想定外の出費は少なくありません。給湯器の故障やエアコンの交換といった突発的な修繕も発生します。
さらに急にまとまった現金が必要になっても、不動産は株や投資信託のようにすぐに現金化できるわけではありません。買い手が見つかるまで数ヵ月かかることも珍しくなく、希望の価格で売れる保証もありません。最悪の場合、購入時より大幅に安い価格で手放す「損切り」を迫られる可能性もあります。
田中夫婦のように退職金という「虎の子」の資金を一点集中で投じてしまうのは、大きなリスクを伴います。失敗した場合、それを取り戻す時間も体力も、若い世代に比べて圧倒的に劣ります。業者から提示される「想定利回り」は、あくまで満室経営を前提とした理想の数字。そこから経費や税金、空室期間の損失を差し引いた「実質利回り」がどうなるのか、冷静に計算し、判断する必要がありました。
「大丈夫。(付き合っているのは)信頼できる会社だ」
「利回りもいい」
あくまでも楽観的な明夫さんに、恵子さんは目の前が真っ暗になる思いだといいます。
「人生の終盤戦で、なぜこんなにも大きな不安を抱えなければならないのかしら――」
老後の資産運用を考えること自体は、決して悪いことではありません。しかし、その一歩を踏み出す前に、やるべきことがありました。それはメリットだけでなくリスクを徹底的に調べること。そして、人生を共にするパートナーと、時間をかけて十分に話し合うことだったのです。
[参考資料]