社会との断絶は、個人だけでなく、社会全体にとっても深刻な課題です。大学を卒業しても社会統合の壁に阻まれる人々がいます。本記事では、岡本圭太氏の著書『ひきこもり時給2000円』(彩流社)より、氷河期という時代を背景にとって、結婚式はお祝いごとであると同時に、社会的なプレッシャーを感じる特別な空間。長らく社会との繋がりを絶っていた彼が、なぜ友人の結婚式への出席を決めたのでしょうか?
早稲田大卒・氷河期世代、31歳で人生初「友人の結婚式」…元ひきこもりの目に映った「まさかの光景」 ※画像はイメージです/PIXTA

あれこれ考えながらも参加した「式の感想」

正直言うと、招待された時は「やっぱり結婚式はいやだなー」って思ってた(ゴメン)。

 

スーツとか着なくちゃいけないし、何かがこう気が進まない。でも新郎は僕らがやっていたひきこもりの自助グループに参加していて、一緒にスタッフまでやった仲だし、新婦は別のグループで知り合って、自分が悩んだ時には何度か折り入って相談もさせてもらった、本当に仲の良い友人のひとり(ふたり)である。そのふたりの結婚式だったからこそ、「よし、今回は出よう」と思えたわけだ。そうでもなければ、踏ん切りはつかなかったと思う(今回出なかったら、いったいいつ出るんだ?)。

 

付け加えれば、よく知っているふたりの結婚式だから、列席者の顔触れもだいたい予想がついたというのも、大きなプラスだった。これがもし知らない人たちが大多数を占めていたら、話はだいぶ違ったかもしれない。いや、確実に違っただろうな。

 

そして当日、あれこれ心配と緊張をまといながらも出席した式の感想はこう。

 

「スーツはウザイけど、結婚式っていうのもそんなに悪いものじゃないな」どうしてもこのスーツというものには慣れないけれど、「でももしまた機会があるなら、もう一度出てみてもいいかもな」ぐらいの感想を持つことができた。まわりはほとんどが見知っている人ばかりで安心できたし、わけのわからない余興なんかもしなくて済んだ。おまけに10月の空は呆れるくらい晴れ渡っていて気分もよかった。あとから振り返ってみて、「とても素敵な結婚式だったな」というのが、僕の偽らざる感想だった。久方ぶりの結婚式でこうした好印象を持てたのは、自分でもかなりラッキーだったと思う。

 

そういえば、「以前よりもだいぶ太ってしまったから」ということで、この機会に乗じて新しくスーツを買いにいくことまでした。こんな機会でもなければ、苦手なスーツなんて買いには行かない。そんなこんなで、なんとなくだが、自分の苦手に一歩向き合えたように思えた。冠婚葬祭というのは、言うまでもなくひとつの大きなイベントなわけだが、これをうまく乗りこなすことができれば、自分が成長していくための契機のひとつになり得るのかもしれない。