大学を卒業しても社会に踏み出せず、自室に閉じこもる――ひきこもりは単に個人の問題ではなく、現代社会が抱える深刻な課題の一側面です。就職氷河期、不安定な雇用、競争社会のプレッシャー……。様々な要因が若者たちを社会との接点から遠ざけ、長期化するひきこもりは、中高年の世代をも巻き込む深刻な事態となっています。本記事は、岡本圭太氏の著書『ひきこもり時給2000円』(彩流社)より、同氏の実体験からひきこもりの当事者と家族の葛藤をみていきましょう。
トイレに行くタイミングをはかり、夜中に冷蔵庫を襲撃…早稲田大卒・氷河期世代の当時24歳男性が実家で過ごした「ひきこもり生活」 ※画像はイメージです/PIXTA

ひきこもりと親

うちは会社員の父(1946年生)と専業主婦の母(1949年生)、それと僕という三人家族だ。きょうだいはいない。父は60歳を少し過ぎてから会社を退職し、今の両親はそろって母の実家のある静岡で暮らしている。今の僕と両親の仲は良好そのものだが、僕が働けなかった時期はずっと険悪だった。いや、険悪というのは少し違うだろう。僕がほぼ一方的に両親を避けていたのだ。親の言葉を恐れていたからだ。

 

どんな言葉を恐れていたのか? もちろん、「これからどうするんだ?」、「親はいつまでも生きていないぞ」。基本的にこのふたつ。親が投げてくる球種はあらかじめわかっている。ストレートかカーブ。ストレートでなければカーブだし、カーブでなければストレート。とてもわかりやすい。しかし問題は、どちらの球種も僕にとっては拷問以外のなにものでもなかった、という点にあった。

 

だから僕が取る選択肢はひとつだけ。何か言われる前に逃げる。親との接触を極力避ける。これ。兵法三十六計、逃げるに如かず。食事はギリギリいっしょにとっていたが、いつ、何の気まぐれで親がそれを持ち出してくるかと、ずっとビクビクしていた。半ば無意識に昼夜が逆転し、家族と顔を合わせない生活へと突入していった。

 

いつのまにか陥る負のループ

大学を卒業したのに就職できない自分。23歳、24歳。いまだに親のすねをかじっている。恥ずかしいし、情けない。「働かなければ」とは思うけれども、怖くて求人誌を開くこともできない。「どうするんだ?」とか言われても困る。だって、どうしたらいいかわからないのだから。そして、よりいっそう社会から撤退していき、さらに事態が悪化する。いつのまにか年月が過ぎて、ますます挽回が難しくなる。リピート。