
ひきこもりと親
うちは会社員の父(1946年生)と専業主婦の母(1949年生)、それと僕という三人家族だ。きょうだいはいない。父は60歳を少し過ぎてから会社を退職し、今の両親はそろって母の実家のある静岡で暮らしている。今の僕と両親の仲は良好そのものだが、僕が働けなかった時期はずっと険悪だった。いや、険悪というのは少し違うだろう。僕がほぼ一方的に両親を避けていたのだ。親の言葉を恐れていたからだ。
どんな言葉を恐れていたのか? もちろん、「これからどうするんだ?」、「親はいつまでも生きていないぞ」。基本的にこのふたつ。親が投げてくる球種はあらかじめわかっている。ストレートかカーブ。ストレートでなければカーブだし、カーブでなければストレート。とてもわかりやすい。しかし問題は、どちらの球種も僕にとっては拷問以外のなにものでもなかった、という点にあった。
だから僕が取る選択肢はひとつだけ。何か言われる前に逃げる。親との接触を極力避ける。これ。兵法三十六計、逃げるに如かず。食事はギリギリいっしょにとっていたが、いつ、何の気まぐれで親がそれを持ち出してくるかと、ずっとビクビクしていた。半ば無意識に昼夜が逆転し、家族と顔を合わせない生活へと突入していった。
いつのまにか陥る負のループ
大学を卒業したのに就職できない自分。23歳、24歳。いまだに親のすねをかじっている。恥ずかしいし、情けない。「働かなければ」とは思うけれども、怖くて求人誌を開くこともできない。「どうするんだ?」とか言われても困る。だって、どうしたらいいかわからないのだから。そして、よりいっそう社会から撤退していき、さらに事態が悪化する。いつのまにか年月が過ぎて、ますます挽回が難しくなる。リピート。