
親の関わり
「僕がひきこもっていた当時、どんな関わりをされて嬉しかったか。あるいは、どんな関わりが苦痛だったのか」。これは講演会などでも、本当によく聞かれる質問だ。
家族にされて嫌だったこと
僕が「親にされて嫌だったこと」の第一位は、「これからどうするんだ」、「親はいつまでも生きていないぞ」といったたぐいの突き上げだった。まあ、言うでしょうね、普通。でもこれが嫌でしかたがなかった。これを言われたくないからひたすら親を避けたようなものだ。
わかっているんです、今の状況がまずいということは。いい歳の大人なんだし、いつまでも自立しないで親のすねをかじっているのなんて、ぜんぜん良くない。自分でも恥ずかしいし、情けないと思っている。早く抜け出したい。でも、どうしたらいいかわからない。だから長期化しているわけです。その状態の人に「どうにかしろ」と言っても、まずどうにもならない。
せめてもう少し具体的に、「こういう場所があるから相談に行ってみたら?」とか、「ここにこんな記事があるから参考にしてみたら?」みたいに、「どうしたらいいのか」のところを提案するほうがよほど効果的だ。非難や叱責に走りたくなる気持ちは理解できるけれど、はっきり言って批判や叱責には意味がない。それができるくらいならもうとっくにやっているし、むしろ相手を萎縮させ、殻に閉じこもらせるだけである。なんだか「北風と太陽」みたいな話だけど。
家族にしてもらって嬉しかったこと
逆に、僕が「家族にしてもらって嬉しかったこと」は、今の自分をありのままに認めてくれて、無用の突き上げをしなくなったこと(心理的な理解)。それと、病院や居場所に通うための費用を負担してくれたこと(経済的な理解)。このふたつ。
このふたつを親がやってくれるようになったのは、両親に病院に来てもらって、医者から説明をしてもらってから。もちろん僕から説明する手もあったのだけど、専門家の口から言ってもらったほうが効き目があると思ったので、わざわざ手間をかけて医者から説明してもらうことにした。