学生生活を終えても社会に踏み出せず、自室に閉じこもる――ひきこもりは単に個人の問題ではなく、現代社会が抱える深刻な課題の一側面です。就職氷河期、不安定な雇用、競争社会のプレッシャー……。様々な要因が若者たちを社会との接点から遠ざけ、ひきこもりが長期化することも。本記事では、岡本圭太氏の著書『ひきこもり時給2000円』(彩流社)より、同氏の実体験からひきこもりの当事者の葛藤をみていきましょう。
就職に失敗。自室に閉じこもった「早稲田大卒・氷河期世代の当時24歳男性」…「たった5文字の言葉」に救われたワケ ※画像はイメージです/PIXTA

読書の中で目に留まった「名前」

カウンセリングというものを意識し出したのは、いったい、いつのことだろう? もう昔のことすぎて覚えてはいないけれど、ある時からふと、「カウンセリングというものを受けてみたい」と思うようになった。たぶん、ひきこもりから出る半年ぐらい前のことじゃないかと思う。

 

学生時代の後半、僕は立花隆や柳田邦男といったノンフィクションを好んで読んでいたが、彼らの著書や対談集を読んでいるうちに、ある一人の人物の名前が目に留まった。河合隼雄。立花隆の本にも柳田邦男の本にも、果ては、まるで畑違いの村上春樹の対談集にもこの名前は出てきた。

 

「河合隼雄って、誰だ?」そのようにして僕は、この人物に興味を持った。いや、この人物に興味を持ったというのはあまり正確な物言いではないかもしれない。なぜなら、僕はその後現在に至るまで、河合隼雄の著作を読むことはしなかったから。思えば不思議なことだけれど、なぜかそういう方向には進まなかった。

 

どうやら、その時の僕は、河合隼雄の本がどうとかいうことではなく、河合隼雄という人がやっている心理カウンセリングなるものに興味を抱いたようだった。次男を自死で失った柳田邦男さんが、自分自身や河合氏との対話を通して、そして「書く」という作業を通して自己を整理し、癒されていくその姿に、何か感じるところがあったのかもしれない。

 

「カウンセリングというものを受けてみたい」。僕はそう思った。

 

カウンセリングというものをやることで、自分の中にある複雑に絡まった糸を解きほぐせるのではないかという淡い期待があった。