
社会保障予算の全体像
1.社会保障関係費の増減要因
社会保障関係費に関しては近年、その伸び率を高齢化などによる増加分に相当する5,000億円程度に抑える方針が継続されている。
さらに、岸田文雄政権が重視した「次元の異なる少子化対策」では、必要経費の大宗を歳出抑制で賄う方針が決まっており、2023年12月の「全世代型社会保障構築を目指す改革の道筋(改革工程)」(以下、改革工程)では、患者負担の見直しなどさまざまな歳出抑制策が列挙されていた※15ため、予算編成では整合性が問われた。
一方、物価上昇分への配慮や社会保障の充実による上乗せが加味されたため、全体としては[図表3]のとおり、プラスとマイナスが同居する複雑な姿となった。
まず、人口構造の変化に伴う変動分に加えて、年金の物価スライドや保育給付の増加、生活扶助の見直しなど物価・経済動向等への配慮が重なり、自然体の増加分(いわゆる自然増)は6,500億円程度と見られていた。
これに対し、後述する薬価の引き下げに加えて、患者の窓口負担を抑える高額療養費の見直しなどによる抑制効果などを通じて、約1,300億円の国費(国の税金)が抑制された。
このほか、既述した高等教育における多子世帯無償化の影響として、300億円の増額があったため、トータルの増加額は5,600億円程度になった。以下、歳出抑制策として、(1)薬価改定、(2)高額療養費の見直し を取り上げる。
※15 改革工程の意味合いや内容などについては、2024年2月14日拙稿「2024年度の社会保障予算の内容と過程を問う(下)」を参照。
2.歳出抑制策(1)~薬価改定~
医療サービスの公定価格である診療報酬のうち、医療機関に対する診療報酬本体は2年に1回見直されているのに対し、薬価は2021年度以降、毎年改定されており、本体改定の間に実施される薬価見直しは一般的に「中間年改定」と呼ばれている。その際には、流通業者から医療機関に安価で薬が売られていることで、この差に対応するため、薬価が毎年引き下げられている。
2025年度の中間年改定では、実勢価格が薬価よりも平均で5.2%下回り、過去最低レベルとなるなか、製薬業界などは物価高騰や円安などで安定供給が困難になっている点とか、新薬創出の妨げになっていると主張し、中間年改定の廃止と薬価引き下げ反対を強く訴えた。
ただ、患者負担の増加など他の見直し策が国民や野党の反発を招きやすいのに対し、薬価削減は政府にとって便利な歳出抑制策になっている面があり、2025年度改定でも中間年改定は継続された。
今改定の大きな変更点は対象範囲である。過去2回の中間年改定では、平均乖離率の0.625倍を超える品目が自動的に対象となっていたが、2025年度改定では品目ごとの特徴に応じて範囲が決まった。
具体的には、平均乖離率の5.2%を基準にしつつ、
▽革新的な新薬の創出などを評価する「新薬創出・適応外薬解消等促進加算」の対象品目と、特許が切れた後発医薬品は1.0倍
▽新薬創出・適応外薬解消等促進加算以外の新薬は0.75倍
▽同じ成分の後発医薬品が流通している「長期収載品」は0.5倍
▽その他医薬品は1.0倍を超える医薬品
が改定対象となった。
これらの結果、全品目(1万7,440品目)のうち、53%に相当する9,320品目が見直しの対象になった。過去の中間年改定では69%が対象だったため、対象範囲は縮小した。
一方、物価上昇に対応するため、錠剤や注射剤など区分ごとの下限値を定めている「最低薬価」が引き上げられた。これは薬価の増額要因として働いており、以上の見直しの結果、給付費ベースで2,466億円、国費(国の税金)ベースで648億円の抑制に繋がった。
なお、薬価改定による削減分の一部については、診療報酬の充実に回る。具体的には、食材費の高騰を踏まえて入院時の食事基準が2024年6月以降、1食当たり670円から690円に引き上げられるほか、▽高齢者の口腔ケアに当たる歯科衛生士と歯科技工士を対象とした加算の創設、▽長期収載品に関わる患者負担を増やす制度改正が2024年10月から開始された※16のに伴って、薬剤師の負担が増えているため、安全管理が必要な薬の服薬指導に関わる「特定薬剤管理指導加算服薬指導」の加算引き上げなども実施される。
※16 2024年10月以降、医学的な必要性が低いのに、医薬品の上市後5年経過または後発医薬品の置き換えが50%以上となった長期収載品を使った場合、保険給付の範囲が縮小された。その結果、後発医薬品の最高価格帯との差の4分の3に限定される代わりに、患者から「特別の料金」を追加的に徴収することになった。詳細は2024年9月11日拙稿「2024年度トリプル改定を読み解く(下)」を参照。
3.歳出抑制策(2)~高額療養費の見直し~
次に高額療養費とは、患者が窓口で支払う医療費の支払いについて、月額の上限を設定することで、窓口負担を抑制する制度。年齢や収入で上限は異なるが、[図表4]のとおり、現在は70歳未満の場合、「約1,160万円以上」「約770万~約1,160万」「約370万~約770万」「~約370万円」「住民税非課税」の5つに分かれており、70歳以上の場合は「住民税非課税(一定所得以下)」を加えた6つに区分されている。
たとえば、70歳未満で年収が約370~770万円の人が月100万円の医療費を支払うことになった場合、原則として窓口負担は30万円だが、高額療養費で上限は8万7,430円まで抑えられる※17。
一方、改革工程では2028年度までに検討する事項として、高額療養費の限度額見直しが挙がっていた。さらに、物価上昇の影響とか、高額医薬品が多く登場していることで患者負担の比率が下がっているとして、首相直属で社会保障改革を議論する全世代型社会保障構築会議で見直しを求める意見が数多く出ていた。経済財政諮問会議でも歳出改革の観点に立ち、同様の意見が示された。
こうしたなか、歳出抑制策として、高額療養費の見直しが焦点となり、限度額の段階的な引き上げと所得区分の細分化が決まった。具体的には、前回の見直し(2015年)からの平均給与の伸び率が約9.5~約12%であることを考慮し、平均的な所得層である年収約370万~約770万円の引き上げ幅が10%に設定された。
見直しの内容は少し複雑であり、概要だけ説明すると、現行区分のまま、2025年8月から限度額が引き上げられる。たとえば、70歳未満の年収約370~約770万円の人の場合、[図表3]のとおり、限度額の基準は8万100円から8万8,200円まで引き上げられる。その後、2026年8月から13区分に細分化されるとともに、限度額も2027年8月までに段階的に引き上げられる。
一方、70歳以上も70歳未満と同様に限度額が引き上げられる。現時点では約370万円未満の場合、限度額は原則として5万7,600円となっているが、2025年8月に6万600円に引き上げられる。
さらに、現在は「約1,160万円以上」「約770万~約1,160万」「約370万~約770万」「~約370万円」「住民税非課税」「住民税非課税(一定所得以下)」に分かれているが、2026年8月以降、14区分に変わるとともに、限度額が段階的に引き上げられる。
たとえば、新区分で年収260万~370万円の場合、原則として7万9,200円になる※18。その際、低所得層の上げ幅を抑える一方、年収約1,650万円以上の負担は最大1.75倍となるなど、高所得者に多くの負担を求める「応能負担」が強化された。
このほか、70歳以上の高齢者医療費のうち、外来負担に上限を設定している「外来特例」も2026年8月以降、見直されることになった。これは2002年10月、定率1割負担が原則とされた際に導入された仕組みであり、70歳以上の場合、原則として1人当たり月額1万8,000円、住民税非課税世帯は月額8,000円などに設定されている。
今回の見直しでは、2026年8月以降、収入の低い階層の負担は据え置かれる一方、2026年8月から年収に応じて上限が引き上げられる。これらの見直しを通じて、平年度ベースの負担抑制額は概算で保険料3,700億円、国費(国の税金)ベース1,100億円、地方負担(自治体の税金)500億円と見られている。
しかし、[図表4]で示した案が実現するかどうか微妙な情勢となっている※19。今年に入り、患者団体などから批判が強まっており、オンライン上の反対署名は僅か5日で7万人を超えた。
通常国会でも繰り返し話題になっており、石破首相は2025年2月の衆院予算委員会で、福岡資麿厚生労働相が患者団体の代表と面会すると明らかにするとともに、「政府として指摘を受け、どのように対応するかは、今検討しているところだ」と述べた。自民党の森山裕幹事長も「がん患者で長期の治療を重ねなければならない方の医療費は別途検討する必要がある」との考えを示した。
一方、[図表4]の見直し案が修正されることになった場合、[図表3]の費用抑制の全体像が影響を受ける。さらに、後述するとおり、岸田文雄内閣が重視した「次元の異なる少子化対策」では、3兆円超の所要予算を歳出改革で賄うことが決まっており、高額療養費見直しによる費用抑制も想定されている。このため、次元の異なる少子化対策の枠組みも影響を受けることになる。
一方。個別項目では新規事業を含めて、幾つか注目される事業が盛り込まれた。以下、(1)医療提供体制改革、(2)高齢福祉分野、(3)少子化対策、(4)その他 に分けて概観を試みる※20。
※17 基準となる8万100円に加えて、100万円から26万7,000円を差し引いた分の1%に相当する金額の合計を負担する。ただし、多数回該当などの例外がある。
※18 ただし、後述する外来特例や多頻回などの例外規定があり、全員が該当するわけではない。
※19 高額療養費の見直し動きについては、2025年2月4日『朝日新聞デジタル』『共同通信』『読売新聞オンライン』配信記事、同年2月3日『m3.com』配信記事、同年1月28日『朝日新聞デジタル』配信記事などを参照。
※20 なお、予算説明資料では、政策体系に関わる予算額が特定または区分できない場合、「内数」で示されているときがある。本稿では煩雑さを避けるため、内数で示された事業などについては、予算額を書かない。