
「理想の未来」が決して叶わない人の特徴
この苦しかった期間を振り返り、今だから思うこと。それは、もしあのとき「思い込み」を書き換える努力をしていれば、きっと本来の「理想の未来」に近づけたはず……、ということです。
わたしは、自分がまだ社会に出て働いてもいないのに「社会に出て働くこと=地獄のようにつらいこと」と、「仕事」に対してネガティブな思い込みばかりを持っていました。でも、もしこのとき「社会に出て働くこと=人に貢献できて楽しいこと(もしくは自由に使えるお金を稼げるうれしいこと、など)」のようなポジティブな思い込みに書き換えていたら、どうなったでしょうか?
言わずもがな、選考に臨む熱量も、行動量も、祈られ続けたときのしんどさだって大きく変わったはず。
そして、就活とロクに向き合ってもいなかったのに「わたしは無能だから勝てない」とハナから決めつけていたことも、すごくもったいないことでした。冷静に考えると、仮に学生時代に評価されなかったからといって、この先なにをやっても一生「できない奴」確定!ということではないからです。
実際、今をときめく成功者のインタビューなどを見ていても、「実は学校では劣等生だった」なんてエピソードが笑い話のように出てきますからね。今思えば、当時のわたしは完全に「努力をサボるための言い訳」として、劣等感を使っていたにすぎません。もし「こんな自分でも、少しでもその会社で役に立てることはなにか」を真剣に探していたら、なにかのかけらが見つかったかもしれない。もしくは「今できないなら、これからできるようになろう」と、劣等感をうまく使ってこれからの頑張り方を考えることもできたはずです。
そもそも「地獄のような社会で働くこと」も、「できない自分でい続けること」も、それらがわたしにとって「理想の未来」だったわけじゃありません。もしできるなら「楽しく働く大人」になりたかったし、「誰かの役に立てる自分」になりたかった。そっちが本当の「理想の未来」だったはずなんです。
本当はそっちをめざしたいのに「社会は地獄なんだから楽しく働けるわけがない」「わたしは無能だから希望の仕事には就けない」というネガティブな思い込みによって、行動にブレーキをかけてしまっていたら、理想の未来なんて叶わないのも当然のこと。
つまり、「理想の未来」を描けない・描いても叶わない人は、ブレーキになる「思い込み」をめいっぱい踏んでしまっているということです。
土谷 愛
mideal inc.
代表取締役社長