自分だけが取り残されているという現実に直面し、状況が一変
さらに調査では「あなたは今までに、社会生活や日常生活を円滑に送ることができなかった経験がありました か。または、現在、社会生活や日常生活を円滑に送れていない状況がありますか」と困難に直面した経験について聞いています。仕事や職場においては、「上司や同僚との関係が悪い」が最も多く23.2%。「仕事の量や内容が自分の能力を超えている」「仕事が自分に向いていない」「本当に自分がやりたい仕事ではない」「職場になじめない」と続きます。
翔太さんの引きこもりの生活はどのようなものだったのでしょうか。
――はじめのほうは、ひたすら自室でゲームをして、それ以外は寝ていました。外出は月に2~3回程度。近所のコンビニに行くくらいです。周囲の目も気になるので、深夜から早朝にかけて
――親が口うるさくいわなくなってからは、家事を手伝うこともありました。私が食事の用意をするようなことも
変化が訪れたのは、引きこもり状態になってから10年目。高校のころに仲のよかった同級生が結婚をしたということを風の噂で知りました。このとき、自分は10年間引きこもっていたこと、自分だけが取り残されていることが急に現実のものとして押し寄せてきたといいます。そして「自分は生きている価値はないのではないか」「このまま生きているのもツラい」と絶望感に打ちひしがれることになりました。一方で、「どうせ死ぬなら、もう1回、外に出てみようか」と、ポジティブとネガティブが入り乱れる、何ともいえない感情が湧いてきたといいます。
――そのとき母が「外に行くなら一緒に行こうか」といってくれたんです。その言葉を聞いて、母も、そして父も、ずっと私を見守ってくれていたことを実感し、涙が止まらなくなりました
家族の支えを身に染みて実感したのをきっかけに翔太さんはカウンセリングを受けるようになり、半年後には少しずつ仕事をするように。そして今はフルタイムで塾講師をしているといいます。
また引きこもり状態になった当初、父は53歳、母は52歳でしたが、当然、父も母も10歳年を重ね、気づけばもうすぐ年金世代。「これからはたくさん親孝行をしないといけませんね」と翔太さん。
前出の調査においても、「状態が改善したきっかけや改善に役立ったことは何だと思いますか。」の問いに対して、「家族や親せきの助け」が最も多く50.2%。翔太さんの場合も、10年間に渡り、ただ寄り添い続けた親の存在が、引きこもり脱出のきっかけになりました。
厚生労働省では、ひきこもりに特化した専門的な相談窓口「ひきこもり地域支援センター」をすべての都道府県や指定都市に設置しています。またより住民に身近なところで相談ができ、支援が受けられる環境づくりを目指し、「ひきこもり地域支援センター」の設置主体を市町村にも拡充。さらにひきこもり支援の核となる、相談支援・居場所づくり・ネットワークづくりを一体的に実施する「ひきこもり支援ステーション事業」(令和6年度110自治体)を開始するなど、引きこもり支援を強化しています。
引きこもりにおいては、引きこもりの当事者はもちろん、その家族も社会から孤立しがち。最悪の結末を迎えてしまう要因になっています。さまざまな支援が展開されているので、引きこもり家族は外に助けを求めていくことが第一歩。また、引きこもり家族を孤立させないよう、“社会の目”も必須です。
[参考資料]