共感の“押し売り”にご注意
共感を阻む価値観の“押しつけ”は、時としてそれ自体「共感」の形を取って表れることもあります。これは、コミュニケーションを上手に取ろうとするあまり、気持ちが先走って「あなたの気持ち、よーくわかります」という、独りよがりを押しつけることが原因です。
たとえば、産官学の様々な分野の第一線で活躍している女性に――
「男性中心の社会で、これまでさぞご苦労されたでしょう? わかります、わかります! 私は、女性の皆さんにもっともっと多くの場で頑張ってほしいと、常々思っているんですよ」
というように一方的に言いまくる方がおられ、私なども大いに励ましていただくことがありますが、有り難いと思う半面、どこかムズムズとするような居心地の悪さを感じます。
もちろん、私も男性中心社会の理不尽さに悔し涙を流したり、ハラスメントに心折れたりしたことも少なからずあります。しかし、仕事の面では「第一号」と呼ばれる役目を多くお任せいただいたことに、やり甲斐と喜びを味わってきたのも事実です。生きているうちには、誰しも様々な苦労と楽しさがあると思っていますので、全面的に「苦労ばかりでしょ!」と共感されても、素直に感謝できないこともあるのです。
仕事に限らず、たとえば友人・知人との会話でも、押しつけの面では気をつけなければいけない点がありますね。
たとえば、大病の診断を受けたという人がいた場合、相手の内心にも構わずに「大丈夫、元気出して! 今はガンも治る時代なんだから」などと、一方的に元気づけた気分になってしまうこと。あるいは、受験に失敗した学生さんに「人生は長いんだし、また来年があるよ。さらに頑張ろう!」などと、いち早い気持ちの切り替えと前向き思考を押しつけてしまうこと。また、目の前の仕事で悩んでいる人に「そういうことよくある! そんな時は、こうしたほうがいい、ああしたほうがいい。ぜひ、試してみなさい」などと少々、押しつけがましいアドバイスをすること。
こういった例は、自分としては相手の気持ちになって「良かれ」と思って話しかけているのでしょう。しかしながら、言われた人はどう感じるでしょうか? 医師でもない立場で「治るから」と保証されたところで不安は解消されませんし、随分軽い感じで言ってるなぁ、と癇に障ることにもなりかねません。
また、不合格でメゲている最中に「切り替えろ」と言われても、まだそのタイミングではないでしょう。悩みごとへのアドバイスにしても、あまり押しつけがましいと、相手の立場によっては断れず、かえってその人の悩みを増やす結果にもなりかねません。
こういうことは、どういうシチュエーションで起こるか考えると、相手が何らかの苦労や、つらさ、悲しみを背負っている場合が多いようです。そういう時に、同情する心ゆえに「わかります、わかります!」の決めつけ、押しつけが起きてしまうのでしょう。
ただ、ここでひと言断っておきますと、私は何も相手に寄り添おうとする優しい気持ちを否定しているのではありません。しかしながら、かける言葉によっては、相手から「共感の押しつけ」と取られかねない懸念があるので、こういった場合の言葉選びには慎重になろう、とご提案したいのです。