出世コースを爆走…おひとりさまとして生きると決めたワケ
<事例>
Mさん 51歳女性
現在個人事業主
起業前は会社員退職時の年収1,300万円
現在の年収 120万円
自宅は分譲マンション(9,000万円で購入)
月の返済 約20万円
残債 5,500万円
Mさんは現在51歳。2年前まで都内の大手企業に勤務していました。バブル期の余韻がまだ残る1995年に新卒で就職。当時は就職氷河期と呼ばれた時代です。多くの大学生が就職活動に苦労するなか、学生時代から交友関係を通して人脈を広げていたMさんは、さほど苦労することなく大手金融機関に就職できました。
当時、女性社員は「OL」と呼ばれる一般職が多く、総合職としてキャリアを積み上げていこうと考える女性は非常に不利な戦いを強いられていました。一般職に頼むべき仕事を同僚から平気で依頼されることも多く、配置転換や昇進も蚊帳の外。女性は結婚するのが当たり前で、30歳程度を目安に退職するものと思われていたからです。
そんな時代にあって、Mさんは野心家でした。40代でこの会社で役員になろうと決めていたのです。生意気という印象を与えるほど常に強気な姿勢で仕事に臨み、会議では激しい口論になることもしばしば。そんなMさんを早くから評価してくれていたのは、当時の社長でした。
Mさんはあまり恵まれた生育環境ではありませんでした。両親の離婚と母親のうつ病のため小学生時代から養護施設で育ちました。自宅に帰り母親と過ごすのは土日だけ。しかし病状が重く不安定な母親は精神科への入院を繰り返していて、数ヵ月間自宅に戻れないこともめずらしくありませんでした。
奨学金を借りて大学に進学したばかりのころ、母親は自殺で亡くなりました。45歳でした。親族とは疎遠のためMさんはそこから天涯孤独なのです。そんな生い立ちのせいか、Mさんは大学生のときから「強い存在」に強烈な憧れを抱くようになります。肩書のある高収入の大人の男性を選んで付き合い、同世代の大学生やお金のない男性を毛嫌いしたのです。
容姿に恵まれたMさんの周りには、医師、弁護士、経営者などの肩書を持つ人ばかり集まり、数名がMさんの学費まで贈与してくれたほどです。Mさんにとって高収入で肩書のある男性は、お金だけではなく強い権力の象徴でした。男性達は大学生のMさんに得意げにお金儲けの知識をひけらかし、自分の人脈を紹介するなどし、Mさんは自分が富裕層の世界にいるような特権意識を覚えました。
就職活動も男性達の力を得て、難なく成功したというわけです。奨学金は使わずに済んだため、資産運用に回していました。その運用も証券会社の役員をする中年男性から教わったものです。
就職したMさんには、同期入社の男性社員が子供にしか見えません。上司に対してもあからさまに見下したような目で見ていました。営業部に配属されたMさんは入社早々から大きな契約を挙げるように。それも大学時代に付き合いのあった男性達のコネによるものでしたが、次々と成約する案件の多さ、契約金額の大きさに役員たちは驚き、一目置くようになりました。
しかし営業成績がいくら優秀でも、同期入社の男性が自分よりも早くに昇進するという現実を目の当たりにします。自分はいつまでも「気の強い女の子」「仕事を頑張っているけなげな女の子」扱いです。
Mさんは臆することなく社長になぜ自分は昇進できないのかと直談判しました。この会社で成功したいと思っていると訴えると、普段から目をかけてくれていた当時の社長はしっかり話を聞いてくれて、Mさんも男性社員と同じように昇進のルートに乗れるようになりました。
30代前半で地方支社の支社長として全国を回り、40歳で本社勤務に戻ってきました。それまで交際する男性もいましたが、全員、会社経営などをしている裕福な既婚者でした。結婚の話になるのは面倒だったのでMさんにとっても好都合だったのです。
42歳でマンションを購入。勤務先に近い約1億円の物件です。20年間運用していた奨学金と貯蓄の合計2,800万円を自己資金にしました。ローン元金は7,200万円です。35年返済で毎月の返済額は約20万円。年収が1,600万円となっていたMさんにとっても、決して楽な支払いではありませんが、自分はもっと年収が上がっていくという確信があったのです。