ニッセイ基礎研究所の中嶋邦夫氏が、年金額改定の仕組みと2023年1月20日に公表された確定値の計算過程を確認し、注目ポイントを考察していきます。
2023年度の年金額は、67歳までは2.2%増、68歳からは1.9%増だが、実質的には目減り…年金額改定の仕組み・確定値・注目ポイント (写真はイメージです/PIXTA)

3|2023年度改定の注目ポイント:(1)増額改定、(2)実質目減り、(3)67歳まで/68歳からで異なる率

2023年度分の改定率の見通しのポイントは、次の3点と言える。

 

(1) 3年ぶりの増額改定

第1のポイントは、物価上昇率を反映してプラスとなり、年金額が3年ぶりに前年よりも増額される点である。2022年3月には、物価が上昇する中で2022年度の改定率が-0.4%となったことを背景に、与党から年金生活者等を対象にした5000円程度の「臨時特別給付金」の支給が提言され、結局は見送られた。高齢世帯の平均貯蓄額は2000万円程度(うち流動性のある預貯金が500万円程度)であることを考えれば全員一律に給付する必要性はそれほど高くなかったが11、4月以降の2%を超える物価上昇に家計は苦しんできた。約1年遅れにはなるが、2022年の物価上昇が2023年度の年金額改定に織り込まれて増額改定となるのは、朗報と言えよう。

 

*11:総務省統計局「2019年全国家計構造調査」によると、65歳以上の無職の世帯員がいる世帯のうち65歳以上の夫婦のみの世帯の平均では、金融資産残高が1920万円、うち通貨性預貯金が473万円、となっている。

 

(2) 3年ぶりの目減りで、繰り越した調整率も一気に解消

一方で、第2のポイントは年金額の実質的な価値が、3年ぶりに目減りする点である。前述したように、前年(暦年)の物価変動率が+2.5%、賃金の伸び(名目手取り賃金変動率)が+2.8%という状況下で、調整後の改定率は67歳までが+2.2%、68歳からが+1.9%にとどまる。名目の年金額は増えるものの、物価や賃金の伸びには追いついていないため、実質的な価値が目減りすることになる。

 

特に2023年度の改定においては、2023年度分の調整率に加えて、2021年度と2022年度に繰り越された2年度分の調整率が一気に解消される形になったため、近年では比較的大きめの調整(-0.6%)となる*12。年金受給者にとって厳しい内容であると同時に、今年度の年金額は来年度以降の年金額のベースとなるため、この目減りは将来世代にも厳しい内容と言える。

 

しかし、調整率(いわゆるマクロ経済スライド)という形で少子化や長寿化の影響を吸収して年金財政を健全化させ、将来世代の給付水準のさらなる低下を抑えることで世代間の不公平をなるべく縮小する、という制度の意義を理解して、受け入れる必要があろう。

 

*12:前述したように、物価や賃金が大幅に上昇する時に繰り越した調整率が一気に解消される現在の仕組みには、年金受給者にとって厳しいという問題だけでなく、特例法などによってルール通りの調整、すなわち年金財政の健全化が進まないという政治的なリスクもある。このような政治リスクを回避するためには調整率(マクロ経済スライド)の常時完全適用(フル稼働)が選択肢となる。ただし、後述する受給開始後への影響を考慮すれば、単純なフル稼働ではなく調整率の一部の常時適用や受給開始後を賃金連動に戻した上でのフル稼働など、何らかの工夫が必要となるだろう。

 

(3) 2000年改正の仕組みがようやく発動され、67歳まで/68歳からで異なる改定率に

第3のポイントは、67歳までと68歳からで改定率が異なる点である。賃金上昇率が物価上昇率を上回る状況は2005年度の改定の際にも見られたが、当時は2004年改正前の経過措置(特例水準)で年金額が計算されていた。そのため、実際に支給される年金額の計算過程で68歳前後の本来の改定率が異なるのは、この仕組みが導入されてから初めてとなった。

 

元をたどれば2000年改正で導入された仕組みであり、「昔に計画された道路の工事が、今になって始まった」ような印象を受けるかも知れない。しかし、年金財政の将来見通しはこの仕組みを前提に計算されており、この仕組みがなければ年金財政が現在の見通しよりも悪化して、将来の給付水準をさらに低下させる必要が生じる。

 

その一方で、現役世代の賃金の伸びよりも低い率で改定されることで、68歳以後の生活水準が社会全体の中で相対的に貧困化する懸念もある*13。この仕組みの実施に当たっては、同じ条件で計算した新規裁定者(新しく年金を受取り始める人)の年金額と比べて8割以下の水準になる場合には68歳以後も67歳以前と同じ改定率を使用すること(いわゆる8割ルール)が、国会審議における大臣答弁で示されている*14

 

しかし、新しく年金を受取り始める人の年金額自体が、前述した調整(いわゆるマクロ経済スライド)によって現役世代の賃金の伸びよりも低い率で改定され、相対的に貧困化する方向に向かっている。そのため68歳以後の生活水準は、8割ルールが存在するとしても新しく年金を受取り始める人よりもさらに相対的に貧困化する懸念がある。今回の改定を機に、この仕組みの再確認や対応策の要否に関する議論が進むことを期待したい*15

 

*13:絶対的貧困が最低限の生存の維持が困難な状態を指すのに対して、相対的貧困は社会の大多数よりも貧しい状態を指す。具体的には、等価可処分所得が全体の中央値の半額を下回る世帯を指すことが多い。可処分所得の全体の中央値は現役世代の賃金の伸びにある程度連動すると考えられるため、現役世代の賃金の伸びを下回る改定率だと相対的な貧困に近づくことになる。

*14:社会保障審議会年金部会(2014.10.15)資料1p.7下段の坂口厚生労働大臣答弁。

*15:対応策としては、68歳以後の本来の改定率を67歳までと同じ賃金上昇率に戻すなどの年金制度における対応策のほか、相対的貧困に陥りそうな低所得高齢者や低年金者に着目した年金制度の枠外での対応策(2012年の制度改正で設けられた年金生活者支援給付金の発展的な見直しなど)が考えられる。他方で、マクロ経済スライドには名目下限措置が設けられているため、68歳以後は67歳までと比べてマクロ経済スライドが効きにくい仕組みになっている。このため、何らかの対策が必要なほどには大きな問題が生じない可能性もある。ただし、今後の年金改革で経済界などが要望するようにマクロ経済スライドの名目下限措置が廃止されれば、68歳以後は、本来の改定率に賃金上昇率と物価上昇率の低い方が使われ、さらにマクロ経済スライドが完全に適用される形になるため、相対的貧困に陥るリスクが高まる。このため、名目下限措置の廃止にあたっては、68歳以後の本来の改定率を賃金上昇率に戻すなどの措置がセットで検討される可能性が考えられる。