日本人のなかでもボリュームの大きな団塊ジュニア。この世代は不遇の世代であり、忘れられた世代といわれることがあります。彼らがどのような道を歩んできたいのか、そして現在、直面している問題についてみていきましょう。
手取り22万円…非正規の団塊ジュニア「もう一生救われない」の悲壮感 (写真はイメージです/PIXTA)

日本初の難題に初めて直面してきた団塊ジュニア

1947年~1949年、第1次ベビーブームに生まれた団塊の世代は、最初の東京五輪前後に社会人となり、日本が世界のトップを走っていたバブル景気の頃には働き盛りの40代前後と、まさに日本経済を支えてきた世代です。

 

そしてその子どもにあたる団塊ジュニアは、1971年~1974年、第2次ベビーブームに誕生し、親世代と共に、現在の日本で最もボリュームの多い世代となっています。ただ団塊ジュニアは突出した人口ボリュームを誇るとともに、バブル崩壊後、日本に次々と訪れた不遇を最初に被った世代でもありました。

 

就職氷河期の初代ともいえるのが団塊ジュニア。リクルートワークス研究所による大卒求人倍率をみると、1991年(3月卒)で 2.86倍だったものが、1994年〜1997年にかけ ては1倍台前半〜半ばまで悪化しました。親世代がバブルでウキウキだったのも目の当たりし、自分たちもその仲間になれると思っていたのに、社会人になろうとした途端、一気に就職市場は冷え込み、思い通りの仕事に就くことができない……そんな経験をした最初の世代が団塊ジュニアなのです。

 

そのあとの日本経済の凋落ぶりは、誰もが知るところ。つまり団塊ジュニアは「高成長を知らない」初めての世代でもあったのです。大卒であっても納得のいく就職ができず、とりあえず非正規雇用で社会人生活をスタートさせる……そんなスタイルが社会問題になったのも団塊ジュニアが最初だといえるでしょう。

 

就職氷河期はその後、2000年代初頭まで続きましたが、アベノミクス下では、不本意な形で非正規雇用を選ばざるを得なかった人たちへの救済策がとられます。しかし、その恩恵が受けられるのは、団塊ジュニアよりも下の世代。救済が叫ばれるようになったときに、40代になっていた非正規雇用の団塊ジュニアは、若手を中心に人材不足が強まっていた企業にとって必要な人材ではなかったのです。