弟に「体操着を家から取ってこい」と言われた娘は…
娘は、やはり女なんか生まれてしまって、と言われて育った。長女で、4歳年下の弟が生まれると、弟が一番、あんたは二番となる。そのようにしつけられていく中で、自分は弟の面倒を見て言うことを聞けばいいんだと、幼いながらに理解した。
そして、自分の居場所ができてほっとしたように思った、とこの娘は語っている。弟はもう一人生まれたので、虐げられている、という感覚も持たぬままに彼女は多忙だったようである。
しかし、小学校高学年のときに弟が同じ小学校に入学してくると、彼女の受難は一層ひどいものとなっていった。弟が姉に命令するのである。姉はそれに従う。言葉遣いも乱暴なままだ。体操着を家に忘れたから取ってこいと言われたときは、家まで取りに行ってしまい、先生にたいそう叱られた。それでも弟思いのお姉ちゃんで済むところがあったが、次第に同級生たちが弟の真似をして彼女にいろいろさせるのである。
女の子の言うことは聞かないが男の子の言うことは拒まないということで、同性の友人を失ってしまった。このころ性的ないたずらもあったようだが、よく覚えていないと、あまり詳しく語れなかった。女性のカウンセラーは聞いていて絶句することが多く、話を聞いていくのがつらいと音を上げてしまったので、その後は私が母親の話と並行して話を聞いていった。
カウンセラーが男性に変わったが、娘はカウンセラーを怖がることはなかった。男性の方が話しやすいようである。母親とは違い媚びたり愛嬌を見せることはないが、同性の友人たちから嫌われた経験からか、若い女性とはどう話していいかわからないようである。一言でいえば、女の方が怖い、のである。
この女性は、中学のときに小学生の弟たちから棒で殴られた傷が原因で、足を痛めてしまう。このときは父も母も大変な怒りようだったと言う。これについては、母は次のように述べていた。
「いくら女に価値がないからと言って、していいことと悪いことがあるんですよ。それがわかっていないと息子たちはただの犯罪者ですよ。わたしの旦那さんもその辺のことはよくわかっていて、息子たちの行き過ぎには注意してくれていました」
以来、暴力は振るわれなくなったと言うが、娘は早く歩いたり走ったりするのが難しくなってしまう。
弟たちは姉に気兼ねするようになったのか、使い走りなどはあまりさせなくなったようだが、姉の方でも弟たちが怖くなり、距離を置くようになった。そればかりか、学校も不登校になりがちであった。そんな中、異性の言うことを聞くことで、彼女が自分の居場所を作ろうとしたことは不思議でも何でもない。ただその話は、痛ましい限りだった。
妊娠中絶し、高校へは行かず、ぶらぶら家事の手伝いをしたり、男性と付き合ったりする娘を相談に連れてきたのは、母親であった。
「この子は自分に価値がないということも、価値がない人間がどうして生きていったらいいかということもよくわかっていないんです。このままじゃ一生わたしのお荷物ですよ。先生よく教えてやってください」
愛嬌のある顔でそう申し込んできたのである。
「価値がない女がいつまでもうちの中にいたって邪魔で困るんですよ、先生。早いところ自立させてやってください」