娘の心に深く食い込み、人格さえ蝕む母の“毒”。 その呪縛から脱し、人生を取り戻すための遥かなる道のりとは。 本記事では、埼玉工業大学心理学科教授の袰岩秀章氏が、実際のカウンセリング事例をもとに「心の解毒」とセルフケアのメソッドを紹介する。
「どうせあたしが悪いと言うんでしょう」…臨床心理士が解説「子どもを嫌悪する毒親」の心情 (※写真はイメージです/PIXTA)

どうせあたしが悪いと言うんでしょう、先生も。

先に述べたように、子どもをペットのようにしか感じられていない印象である。嫌なペットの飼育を押し付けられた子どものような態度、と言うとわかりやすいのではないか。しかし子どもはペットではない。子どもが生まれたときから、われわれには責任が生じている。その責任を無視して放り出される子どもにとってはたまったものではない。

 

娘の体重が減っていたこともあり、病院を紹介するとともに私が母娘ともに並行して面接を行った。もっとも娘は週に一度としたが、母親は月に一度、それも渋々であった。

 

「どうせあたしが悪いと言うんでしょう、先生も。でも言ったとおり、あたしはこの子に関心がありません、いくら話したって無駄ですよ。どうしてあたしが時間を割かないといけないんですか」

「もう少し優しくしてほしい」母への切なる願い

病院は娘のカウンセリングをこちらに任せてくれるということだったので、娘は通院して身体面のケアを受けながら面接していくこととなった。

 

面接では、娘は毎回号泣して、その合間に、中間試験が気になる、レポートが自信がない、発表の準備ができないといったことを漏らすが、それ以外のことは口にしなかった。自分の目の前のことで精一杯という感じである。

 

ただ母について尋ねると、病院に一緒に来てくれるけどもう少し優しくしてほしい、わたしがこうだから迷惑をかけている、と答えた。また嬉しかったことを尋ねると、母に服を買ってもらった、病院の帰りにお茶を飲んだ、と母に関することをいつも話していた。

 

結局、試験前は勉強が忙しいという理由でカウンセリングは休みがちとなり、母も、娘が来ていないのに何であたしが行かないといけないんですか、と姿を見せなかった。試験が済むまではカウンセリングはお休みということのようである。

助教から連絡「顔色が悪い気が…」大学に向かった結果

このままでは、カウンセリングが進まないどころか摂食障害が悪化する恐れがあるので、病院や大学の教員と連携を深めなくてはと思い、双方と連絡を密にしていたところ、娘が通う学科の助教から、最近顔色がひどく悪いような気がするという連絡があった。

 

そこで一目様子を見ようと時間割を聞いて大学まで足を運んだところ、助教が教室まで連れて行ってくれて、ちょうど授業が終わって教室から出てくる娘を見ることができた。

 

一目見るなり私は、小走りに廊下を人がいない方まで行き、病院の担当者に電話して、受診させて緊急に入院させられるか尋ねた。それくらい悪い顔色と体格であった。病院の担当者は、すぐに主治医と相談して可能な限り対応するから、まず受診させてくださいと言ってくれた。そして私はそのまますぐに母親に電話した。

 

〈今日大学に来てお嬢さんを見かけたところ、とても顔色が悪く、身体の様子も大変悪く見えます。すぐ病院に連れて行っていただけますか〉

「えっ、そんな急に言われても……」

〈病院には電話して、担当の方には伝えてありますから、お嬢さんを大学に迎えに来て、そのまま病院に行ってくださると助かります。急を要する状態だとお考えください。お嬢さんには助教の方から伝えてもらいます〉

 

母親との電話が終わると、呆気にとられて立っていた助教に深々と頭を下げて、どうもありがとうございました、おかげさまで何とか手遅れにならずに済むかもしれません、お母さんが迎えに来ると彼女に伝えていただけませんか、と伝えた。

 

その日遅くに母親から電話があり、主治医も一目見るなり即入院だということになり、それから手続きをしたり着替えを取りに戻ったり、てんてこ舞いだったと知らせてきた。

 

母親の口調は、どこかてきぱきとして、やることをやっているという感じであった。

何しに来たんですかって言われるんじゃないかって…。

〈ご苦労様でした。すぐに対応してくださって助かりました〉と言うと、

 

「病院の人にも、すぐに来てくれて良かったと言われましたよ。先生(著者)の言い方に驚いて病院に連れて行ったはいいものの、半信半疑だったんですよ、待っている間は。何を言われるんだろうと心配してました。何しに来たんですかって言われるんじゃないかってね。そうしたら先生(医師)が、これはすぐ入院ですって。手遅れになるところだった、連れて来てくれて良かったですよ、お母さんって言われました」

 

嬉しいというのとは違うが、何か高揚した、やりましたっ、あたしやったの? というような気持ちが伝わってくる話し振りであった。

 

入院した娘は、当初安静を命じられて勉強ができないと泣いていたそうだが、母親は毎日着替えだなんだと持って会いに来てくれる、スタッフは優しい、そして栄養状態と体重が回復したら勉強していいと言われ、すぐに治療に専念するようになったそうである。

 

順調に体重が戻り、期末試験は病院から受けに行ったが、夏休み前には退院して通院に切り替え、後期が始まる前にはカウンセリングにも顔を出して、嬉しそうに生理が始まったと報告して帰っていった。

娘であるがゆえに手をかけることが嫌で仕方ないことも

そして母親である。

 

「いやあ、今回はさすがのあたしもまいりました。先生はどうして他人の娘にあんなに必死になったんですか」

〈あなたの娘だからです〉

「えっ……」

〈彼女が摂食障害になったのはあなたに可愛がってもらえないことが一番の原因だと思いますが、それでも彼女はあなたのことを嫌ってはいないようですよ〉

「うーん、いや、まいったなあ」

〈お嬢さんは、あなたにとって一番の理解者になる可能性を持った人です」

「はあ……そうですか、今から育て直しですか……」

 

まんざらでもない顔で言った。

 

嫌いなペットから、少しは手をかける甲斐のあるペットくらいに昇格したであろうか。この母親にとって、いつの日か娘がペットから自分の娘になることを願いたい。

 

ペットとは思わなくとも、母親にとって娘は、娘であるがゆえに手をかけることが嫌で仕方ないことがある。世の母親は、そういう瞬間をどのように凌いでいるのだろうか。

 

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袰岩 秀章


Ph.D.、FJGPA、LP、CCP
国際基督教大学で博士(教育学)を取得後、日本女子大学専任カウンセラー(助教授)を経て埼玉工業大学心理学科教授。
日本集団精神療法学会評議員、公認心理師、臨床心理士。30年以上にわたり、カウンセリングルームで外来相談を続けている。