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「憎たらしい姑そっくり」「大嫌いだ」毒親が語る本音
生まれたときから憎たらしい、あるいは嫌で仕方ない……それはなぜなのか、それはどんなときなのか。
赤ん坊の顔を見た瞬間、「憎たらしい姑そっくりで、殺意さえ感じた」と漏らした母親がいた。
それでもその母親は、娘だからと世話をして高校生になるまで娘を育てたが、その間もずっと娘の顔を見ればうんざりする気持ちに変わりはなかった。当然娘も愛されていないことはわかり、親とは相いれない存在として育っていった。
「殺意を感じたといっても、本当に殺そうとしたことなどありません。ただそれくらい強い気持ちだったということなんですよ。最近よく子どもに暴力をふるう親がいますが、わたしはそんなことはしないんです。もちろん叱ることはよくありますが、激しく怒鳴ったりたたいたりということはありません」
「姑も、夫も、まるっきり同じ顔つきです。人様のうちのことなら笑っちゃうところですが」
こう語るもうすぐ50になるという母親は、どのように娘を育てたのだろう。
「あの子は運が良かったと思いますよ」と母親は語る。
「それこそ人様と育て方が違うな、というのは早い段階で気づいていましたね、赤ん坊の頃からでしたか……」
「どう違うって……娘に対してというより姑に対しているような気分で育てていたんですね……」
「あの子も可哀想だと思います。顔が似てるってだけで嫌われるなんて。でも顔だけじゃあないんですよ、似ているのは。性格も陰気で、口を開くと愚痴や文句。一緒にいて気が滅入るタイプなんです」
姑に対するような気分で育てるというのはどのような育て方だろうか。
「余計な口を利かせないってことですかね、こちらも話すことは必要最低限にとどめて。娘が何か口を開くと、じろっとにらんでやるんですよ。それで早いうちからまだましに育ちましたかね。姑のように際限なく愚痴や人の悪口を話すようになったらおしまいですからね。それこそひっぱたくなり殴るなり、今はやりの虐待親になっていたかもしれませんねぇ。あの子は運が良かったと思いますよ、わたしが睨むだけの親で」
いやいや、睨むだけではなかったろうが、この母親の子どもへのかかわりの特徴は、暴力よりも目つきや表情、口数の少なさやきつい口調にあったようだ。子どもは始終脅されているような、監視されているような、そんな気分で育ったのではないだろうか。
実直で優しそうだからと思ってすぐに結婚を決めたが…
結婚はお見合いで、将来の夫は自営の工務店をやっていて、稼ぎがしっかりしているならいいやと即決だったそうである。
「わたしもこのご面相ですから最初から高望みなどしていません。実直で優しそうだからと思ってすぐに決めてしまいました。工務店といったって夫一人の会社ですから、ほとんどうちにいませんが、よく働いてくれるので、文句を言ったら罰が当たります。
でもね、陰気で人の話もろくすっぽ聞いてもないのに、自分が口を開くと重箱の隅を突っつくような小言ばかり延々と言う姑と、一日中、毎日毎日暮らしていたら、わたしもどこかおかしくなっていっても不思議はありませんでしょう」
「嫌なことがあった」と話す娘が、姑そっくりで…
しゃべり方は控えめだが、言いたいことはずばりずばりと言う。ところどころ、「わたしは学がありませんから」、「わたしは馬鹿ですし」と言うが、なかなかどうして、頭の回転は速いように思えた。カウンセリングで話す内容は簡潔でわかりやすい。
はじめは姑に遠慮していたのだろうが、いつ頃からか姑にも遠慮がなくなっていったようだ。話しぶりからすると、舅が亡くなった頃からだろうか。状況を見極めて立ち回ることができるようだ。
「娘が小学校に入って学校から帰ってきたとき、学校で嫌なことがあったと話し始めたその口ぶりを聞いて、気を失うかと思いました、いや、ほんとうに。姑が小さくなって学校に行ったような錯覚がしたんです。
そのときは思わず、肩をつかんで余計なことを言うんじゃない! と怒鳴った気がします。娘もびっくりしたでしょうが、わたしも動揺してしまって、何を言ったかは実のところよく覚えていないんです」
「なんであんなに卒倒しそうなくらい動揺したのか……、恐怖ですかね、やっぱり。これから毎日娘が学校の愚痴を、あの姑に似た顔で、姑の口調、姑の目つきで話すのかという恐怖を感じたんでしょうかね」
母親「娘が学校で問題を起こさないようにしてほしい」
この人の娘は引きこもる傾向があり、対人疎通性が悪く、学校では時々かっとなって物を壊すことがあった。
そこで、高校のカウンセラーから発達障害ではないかと言われクリニック受診をかなり強制的に勧められて受診した。クリニックに行ってみたところ、医師が、どうも発達障害ではないのではないかと判断し、検査結果を添えてこちらのカウンセリングルームに紹介状を書いてくれたのだった。
母の主張は、「学校で問題を起こさないようにしてほしい」ということだった。女性カウンセラーが娘と話したが、何も答えてくれないとさじを投げたので私が面接した。ここに来たことをねぎらい、〈友だちができるようになりたいか〉と尋ねた。そうするとこっくりとうなずくではないか。
〈では少しの間ここにいらしてください。先ほどの女性カウンセラーの方があなたに年齢が近いので、女性の友人関係のことは私よりわかると思います。彼女と友だちとの付き合い方や学校での過ごし方について話していってもらいたいのですが、いいですか〉。
再びこっくり。
こうして私は、母親面接の担当となり、右のような話をずっと聞いていったのである。
娘は、医師の見立て通り「発達障害」ではなく…
医師の見立て通り、このお嬢さんは発達障害ではなくシゾイド・パーソナリティの傾向が顕著な人だった。母の育て方のせいで、自分の殻・世界にこもりがちであったのだろう。
またそうしていないと安全や庇護が保証されなかったに違いない。親を煩わせないこと、すなわち自分の世界にこもることが、この女性の生き延びるすべだったのだ。
しかし学校に行けば、そのやり方は通用しない。外との交流でうまくいかないと自分の中の被害感が強くなり、物に当たっていた。小中はそれほど大事にならずに済んだが、高校で備品や教室のドアを傷つけるとなると、放っておかれるはずがない。
周囲は周りの人間にも被害が及ぶのではと心配したが、人を傷つける人ではなかった。人との交流が少なく、感情の表し方や、人がそれをどう受け止めるかがわからなかったのである。
娘を担当した女性カウンセラーには、医師の見立て通り発達障害とは思われないこと、シゾイド・パーソナリティとなった背景などを説明し、この娘が普通の会話をできるようになること、周りの人をあまり驚かせないようにふるまえるようになることなどを目標とするように指示した。
娘は面接で、物に当たると周りの人はびっくりして怖くなるものよ、と聞いて、不思議そうな顔をしながらもうなずいていたと言う。
そんなに嫌いなのに…なぜ娘を育ててこれたのか?
さて母親である。
〈そんなに嫌いなお嬢さんなのに、よく殺しもせずここまで育てていらっしゃいましたね〉と言うと、この母親は、にっこりとした。わが意を得たり、とでも言うのだろうか、莞爾として微笑むばかりである。
さらに、〈お嬢さんが人を傷つけないのは、お母さんに似たからじゃないですか〉と言うと、母親は嬉しそうに笑って、「先生はよくおわかりですね」と言った。
やはり頭のいい人なのだろう。彼女の娘に対する見方が、姑や夫に似たどこの馬の骨かわからない娘から、自分の娘に変わっていった瞬間である。
無論それはそれで新たな弊害を生む恐れはあったが、娘がそれに対処する力をつけつつある現在、そのことはもはや大きな脅威とはならないであろう。
高校までこの娘を育てながらも、憎み、冷淡にするだけでなく、ずっと呪詛のようにおまえは駄目だ、おまえは暗い、おまえは人づきあいなんかできない、と娘に言い続けたこの母親に対して、人はどのように感じるだろうか。
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袰岩 秀章
Ph.D.、FJGPA、LP、CCP
国際基督教大学で博士(教育学)を取得後、日本女子大学専任カウンセラー(助教授)を経て埼玉工業大学心理学科教授。
日本集団精神療法学会評議員、公認心理師、臨床心理士。30年以上にわたり、カウンセリングルームで外来相談を続けている。