子どもが不登校になったら、保護者は愕然としてしまうかもしれません。 しかし「学校にさえ行ってくれたら」と思ってしまうと、子どもはその期待に応えられない自分を責め、さらに学校に行きづらくなるという悪循環を生みます。本記事では、不登校児の親としてこの問題に対峙してきた、ほしな和生氏の著書『子どもが不登校になったら』から一部を抜粋・再編集し、「不登校の子ども」との向き合い方について考えます。
玄関で涙を流して泣き崩れた…中学1年生の我が子が「不登校」になった理由【フリースクール設立者の実話】 (※画像はイメージです/PIXTA)

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「クラブに行きづらい」我が子が不登校になった日

私の子どもが不登校になったきっかけは、おそらく中学で入った部活での出来事。五月に入部してから、二カ月ほど経った頃でしょうか。

 

「なんかなー、部活の先輩がなー、すごい厳しいねん」と子ども。まあそれはよくある話、でもきつい先輩が多いらしく、「あいさつの声が小さいだけで注意されるねん。元々今声変わり中で大きい声出しにくいのに。他にもいろいろ気に入らんこと言われるねん」と。

 

中三が修学旅行中のときには、中二の先輩が中一を正座させ、長時間にわたり延々と説教をしていたらしく。入部当時はそれはもう部活が本当に楽しくて、毎日うれしそうに、「今日こんなことあってん、すごい楽しいねん」と報告してくれていた子ども。それが、みるみるうちに、「クラブに行きづらいねんな」となり、夏休みからはクラブに行くふりをして行かず、の日々が始まりました。

 

あるときは、学校から、「来ていないです」との連絡を受けて探し回ったところ、自宅マンションの階段に一人座り込んでいたこともありました。そうこうしながらも、なんとか夏休みのクラブ行事には参加しましたが、やはり二学期の始業式後もクラブに行かず、次の日には、「学校に行きたくない」と言って学校を休みました。

 

「なんでクラブ行かへんねん」という同級生の冷たい言葉を浴びるのもつらかったらしく。その翌日はなんとか私が説き伏せて、子どもはしぶしぶ学校へは行きましたが、やはり「めっちゃしんどかった」と。

 

そして次の日、「やっぱり行かれへん」と言って玄関で涙を流して泣き崩れました。その姿を見て、私もさすがに、「それでも学校に行け」とは言えず。遂に、その後本格的に学校へ行けなくなりました。

学校は全く何もしてくれない、何も教えてくれない

そのとき私は、おそらく原因となっている部活を辞めたらまた学校に行けるんじゃないか、と安易に考えてしまい、「部活辞めていいから学校に行こうよ」と子どもに訴えていましたが、どうもそんな単純な話ではなさそうで、そのあと子どもは決して学校に行こうとはしませんでした。