都営住宅、「桐ヶ丘団地」。建替えにともなう引っ越しでコミュニティは崩壊し、高齢住民たちの生活はガラリと変えられてきました。隣近所の顔がわからなくなった住民たちにとって、「孤独死」という問題は非常に大きなものとなっています。同団地住民を長く取材してきた、文化人類学博士の朴承賢氏が解説します。※本連載は、書籍『老いゆく団地』(森話社)より一部を抜粋・再編集したものです。
「エレベーターで挨拶もしない」団地の住民たちに何が起きたのか? (※写真はイメージです/PIXTA)

「小さな縫いぐるみ」を常にカバンに入れているワケ

浅田さんは、多くの人びとが助けてくれて、今まで生きてきたと話した。入院した時、彼女は医者や看護師に助けてもらって、家族がいなくても入院生活が送れた。今はペンダントをかけていて、これを押すと緊急支援センターと通話ができるし、安否確認の電話もしてくれるので、なんとか安心していると話した。

 

彼女は、誰かが「大丈夫ですか」と聞いてくれたり、自分の行く道でもないのに病院まで同行してくれたり、駅の改札口まで案内してくれたりすると言った。それで感謝の気持ちを伝えたくて、小さな縫いぐるみを作って常にカバンに入れてあると話した。

 

また、同じ号棟の川村さんについても、彼女の存在が頼りになると話した。浅田さんの日常は、他人との支えあいの中で、自立と依存の間を往復しながら繰り広げられている堅固な「自立」の現場のように見えた[朴 2018b: 41-47]。

 

高橋絵里香[2013]は、フィンランドにおける在宅介護に関するフィールドワークの経験から「互恵としての福祉」の意味を考察する。

 

そして、自立と依存は明確に分離することのできる概念ではなく、錯綜する二者の間で揺れ動く過程こそがエイジングの経験であると論じる。

 

「自立している」という概念は、自己のあり方を示す抽象的な概念ではなく、他者との人間関係の中でこそ意味を持つ概念であり、相手との関係の中で意味づけられる状態なのだ[Varenne 1977 / Bellah et al. 1985 /藤田 2003:172]。

 

筆者が集団インタビューを行ったある自治会の住民たちは、自分たちのところは「風通しがいい」と言いながら、遠くもなければ近すぎでもない、困った時に手が届くような近隣づきあいを求めていた。

 

「住み心地のいい匿名性」[岩本 2013:15]を維持しながら、万が一の時には手助けになれる付き合い方を模索するという課題に取り組んでいたのだ。

 

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ご近所付き合いは個人差がある個人の問題ですが、ある程度の基準がある。何もないのにやって来て、家に入り込んでなんだかんだと言われるのはいや。個人的な付き合いが深くなっても、ある程度の距離は保っている必要がある。

 

その感覚を持って付き合いをするべきで、付き合いがうっとうしくなると、逆に避けちゃう。そこが難しいので、あんまりお互いに深くしない。いいことばかりではないから。普段はいいんだけど、なんか悪いことが漏れるのがいやだから、特に団地はそうかも。気まずくなるのはいやだから。(2015年8月、ある自治会の住民たちへのインタビュー)

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